常々感想記

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さよならの朝に約束の花をかざろう

 

さよならの朝に約束の花をかざろう」略して「さよあさ」見てきました。良かったです。ただ感想を書くだけだと面白みがなくなりそうなんで以下、1人2役の対談形式で映画の感想を書きます。ネタバレ多々あります。まだ見てない人は見た後に読んでください。

(アホくさいですがこーういうのに憧れがあるんです・・・)

 

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J:本日はよろしくお願いします。Bさん。

B:よろしくお願いします。バシバシ語っていきます!

J:早速で恐縮ですが、「さよならの朝に約束の花をかざろう」拝見していかがでしたか?

B:面白かったです。驚きがなかったのが少し残念でしたけれど・・・

J:ほー、ではまず面白かったところからお伺いしましょう。具体的にどう面白かったですか?

B:どこか見たような世界で堂々とファンタジーをやってくれたことです!

J:どこかで見たような、ですか?

B:はい、こんな中世西洋風の純ファンタジーって久しくなかったと思うんです。最近のファンタジーってあったとしても異世界転生とか、魔法と剣で争い蔓延る戦乱の世とかそんなんばっかです。そんな中、派手さはないけれど、どこかで見たような気もするけれど行って見たい!と思わせてくれるファンタジーの世界で物語を作ってくれた。それだけで涙がちょちょ切れそうです。

J:逆に言えば目新しさはなかったということですよね?それって褒めているように聞こえませんけど・・・

B:目新しさなんてどうでもいい!純ファンタジーってみんな好きだから!

J:それって異世界転生でもいいんじゃ?

B:ステータスが数字で表示されて主人公がやたら無敵でかわいい女の子がいっぱいのハーレムを築く話がファンタジーであるのもか!俺は認めないぞ!

J:・・・

B:あれは妄想だ!

J:ファンタジーの世界観がよかったとおっしゃいました。具体的にどの点が良かったですか?

B:まず、キャラデザがいいですよね!キャラ原案の吉田明彦さん大好きなんです。それに加えてこの「さよあさ」という物語に吉田さんのキャラがハマってました。

J:吉田明彦さんと言えばやっぱりFFが有名だと思います。

B:吉田さんの絵ってちょっと西洋っぽいですよね。線が主役でなく、あくまで色が塗られてひときわ輝くというか。もちろん線画の時点でも魅力抜群でたまらないんですが、ヌリヌリしたら一層すごい。目が小さくてぱっちりしているのも大好き。

J:あの吉田さんの絵を動かすのは大変そうですが

B:キャラデザの石井百合子さんがすごいんだろうなぁと思わされました。正直キャラデザって難しんだろうな、くらいのことしかわからないんですが、アニメで動かすとなると線の取捨選択絶対大変ですよ!

J:そのキャラデザが「さよあさ」という映画で重要だったと

B:ファンタジーってやっぱりおとぎ話であってほしい、夢を見られなきゃファンタジーじゃないって思うんです。みんな夢を見させてくれました・・・

 

J:物語自体はいかがでしたか?イオルフという年を取らない種族、そのイオルフの少女マキアが人間の子供を育てるというあらすじです。

B:語り口のテンポが良かったです。ほぼ1世紀を2時間に納めて、綺麗にまとまっていたので時間を意識せず見れました。それに日常風景の描写がきちんと描かれていてマキアってこんな子なんだ、と見て伝わってきました

B:確かにあの「おっぱいがでないんですぅ〜〜」に始まる、日々の雑事は描かれていたように思います。

J:あのシーンは好きなシーンの1つです!あれはいい

J:マキアという少女については?どこかひとりぼっちな雰囲気を漂わせつつ襲撃から運良く逃げだせた後エリアルと出会ってからはお母さんになろうと必死に努力しています

B:エリアルと幼少期をすごした農場のシーンではたどたどしくて頼りないです。でも頑張ろうと努力している、そこが健気でかわいいし応援したくなる。ちょっと後、マキアが酒場で働いているところに差し掛かるとしっかりしてきていて、育児を通して身の回りのことがこなせるようになったんだ、成長したね〜とよしよししたいくらい。マキアを嫌いになる人はいないんじゃないかなぁ。

J:マキアはかわいいとおっしゃいました。レイリアはかわいいですか?

B:このお話を見た限りではマキアに軍配が上がります!レイリアはおっかねーです。あの表情は怖い。浮気したら刺されそう

J:浮気しないでください

B:レイリアってもともと強い子だと思うんです。だからあんな扱いを受けても耐えることができるし、逃げ出すチャンスがあっても王宮に留まることをみずから選んだ。身重になっていたというのもあると思いますが・・・

J:マキア、レイリアと幼馴染の中で最後の1人がクリムです。クリムはだんだんとレイリアを助ける、という考えに取り憑かれてしまいます。

B:挫折を幼少期に知らないとああなるんですよっ。イケメンな上、かわいい幼馴染とイチャイチャしてた罰です。

J:それはかわいそうすぎる言い草。彼、最後報われませんよ?

B:マキアに子供いなかったら言い寄ったに違いないと思っているので。

J:彼を低く見積もりすぎでは?

B:「こどもがいるから置いていく」って言ってるんですよ?逆に言えば「こどもがいないなら連れていく」ってことです。やつはいつまでも過去に囚われている男です。下手に行動力がある分厄介です。

J:では彼が一番嫌いだと?

B:一番きらいなのはあの王国のとりすました顔してる騎士、イゾルってやろうです。あいつはどーしようもないですね。それに比べたらクリムは同情できるのでましです。

J:言いますね。ちなみに理由は?

B:レイリアのことを哀れんで、心痛めているようなツラをしているにも関わらず結局何もしない朴念仁だからです。ただの宝石投げあて機ですよ。上の命令を下に流すことしかできないやつです。くそ王様&王子を最後ぶん殴るくらいしてくれたらまだしも

J:彼はただの軍人ですよ・・・無理言い過ぎです。ところでここまでエリアルの話はあまりしていませんね。彼はマキアにとってかけがえのない存在です

B:エリアルは正直マキアほど入り込めませんでした。だから取り立てて話せるようなことは何も・・・純粋な子供のままでいれば良かったのに・・・

J:それができないってことがこの映画の根幹ですよね!?アホなこと言わない!はい、エリアルが母親のマキアに向けている感情が親子愛でないと気づき、2人は別離に至るようになりました。

B:この「さよあさ」はマキアの話だと思うんです。だからエリアルは彼女にとって大事な存在ですが、あくまでも彼女が愛を知るための存在としか思えなかったなぁ。特に別れた後はなおさらでした

J:なるほど

B:でも、マキアとエリアル姉弟として暮らしていたあのシークエンスは好きです。あの部屋の感じとか、特に床にランプが落ちて燃えるシーン、エリアルがもう気持ちを抑えきれなくなったあの一瞬はエリアルに「マキアかわいいもんな。しょうがないよ」と言いたくなりました。

 

J:ここまで「さよあさ」について語ってきましたが、意地悪な質問を。この「さよあさ」でダメだと思ったところはありますか?

B:ダメというわけではないけど、あまり驚きはなかったです。話の流れが読めちゃう。

J:ほほーマキアが王宮にさらわれてしまうのでは?と思わなかったと?

B:思いました。でも、嫌な考え方ですがあそこでマキアが王宮にさらわれたらどう話を展開させるのか予想が付かなすぎて逆にないんだろうなぁと思っちゃいました。それこそ王宮内でマキアとレイリアの後宮争いが始まっちゃう。

B:ドロドロした話になりそうです。

J:それに誘拐するとしたらあのクソイゾルがやるってことですよ。それは許さん!絶対にだ!

B:イゾルが本当に嫌いなんだってことはわかりました。

J:加えて一個だけ納得できないところが

B:なんですか?

J:レイリアとメドベルってどうして会えないんですか?

B:王様の命令じゃないんですか?

J:そんなこと言ってましたっけ

B:自信はないです

J:イオルフの形質を受け継いでいないなら2人を会わせても問題じゃないと思うんですが・・・受け継いでいても問題だと思いませんが。意味もなくレイリアのことをみんな避けすぎな気がして。物語の都合上レイリアを追い詰めるために、実の子に会わせないようにしたとしか思えなかった。

B:さっき浮気したら殺されそうみたいに言ってたのに?

J: だからこそ王子はレイリアを避けたんですかね?

 

J:ちょっと話をここで変えましょうか。この作品、脚本家として有名な岡田麿里さんの初監督作品でした。

B:岡田麿里さんが手がけた作品で一番いいと思います。

J:おお〜「あの花」や「ここさけ」よりもいいと?

B:そう思います

J:私は一番と言い切れるほど良かったと思えないんですが・・・どういった点が1番と言い切れる根拠なんでしょう?

B:岡田麿里さんってそれやる?っていう生々しいことぶち込んでくるじゃないですか。

J:まぁ、はい。ドロドロした見たくない聴きたくないことを言わせるしやらせますね。それが魅力でもあります。

B:これもさっきいったことと重なるんですがそういう生臭いものはファンタジーと結構相性いいと思うんです。

J:よく知れば残酷なお話は確かにファンタジーにあります。下手なミステリーより人が死んでることも多いですね。

B:そういった親和性というか、マッチのし具合が今回「さよあさ」ではいい方向に出たと思います。今までの作品って「なーんでこんなこと言わせるの」という作為的なものがどうしても感じられちゃうことがあったんですが「さよあさ」ではあまりありませんした。

J:ファンタジーだからこそ今回はうまくいったと。再三ファンタジーについてお話していますが、ある意味「さよあさ」はファンタジーが終わってしまうお話でもありますよね?

B:うーん、あれはファンタジーが終わるというかイオルフやレナトって太古の時代から存在している種族ですよね。それが変わることなく、他者と関わりを持つことないまま年を重ねると時代に取り残されるっていう感じでした。だからイオルフは滅びないと思います。

J:夢ありますね!

B:あんな可愛くて綺麗な種族が滅びてたまるものか!

 

J:ここまで長々とありがとうございました。最後にこのシーンが一番好き!というのをあげていただけますか?

B:一番ですか。うーん、2つ選んでいいですか?

J:もちろんです。どうぞ

B:一つは成長したラングとマキアが酒場で再会するシーン。

J:ラングは好青年になってました。この映画の良心でもあります。

B:ラングは成長しているのにマキアって本当に見た目変わらないんだなぁと思わされました。あと自分が酒場のシーンが好きなんで。むさ苦しい上熱気に溢れていて何かが起こる前兆ビンビン感じます。

J:もう1つはどこですか?

B:最後、マキアがエリアルを看取った後泣くシーンです!

J:ベタですね〜いいですねー

B:ようやっと泣いた!と思いました。泣き方もよくて、最後にきっちり山場を持ってきたことに拍手を送りたい!あと泣いているマキアかわいい!

J:またそれですか。もうげんなりですよ。

B:いや、マキアは最初はこっちが頭撫でてあげたいな〜って感じなんですが、最後はこっちが頭撫でて欲しいなぁ〜ってくらいに母性溢れてすごいですよ。かわいいし。その後馬車で去っていくのもベタベタで最高です。

 

J:そろそろ終わりにしたいと思うんですが言い残したことはありますか?

B:ワンコを埋めるシーンも好きだなぁ。

J:はい、長々とありがとうございました!次回もよろしくお願いします。

B:もう一回やる気力が出たら

J:次回はアカデミー賞、作品賞、監督賞等を取った話題作「シェイプ・オブ・ウォーター」もしくは見た人みんなバーフバリ!と叫びたくなる「バーフバリ・王の凱旋」の予定です。

B:両方とも面白い映画でした。

 

 

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!

ナチスほぼストーリーに関係ないじゃん、が1番の感想。超あっさりアクション映画で嫌味なく気持ちよーく見れた。内容は少ししたらほぼ忘れていると思うけどそれがいいと思う。その割に舞台が1995年のサラエボって背景がちょっとわかりにくくしているのが不思議。

 

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アクション映画は下手に理屈をこねない方がやっぱ面白い。この映画では超グンバツな美女のために金塊を盗もう!となる。そんなスーパー美女を演じるのはシルヴィア・フークス。まぁ鼻筋が綺麗に通っていること…眉から鼻根にかけてキレーにシュッと繋がってんだよね、すげーや。ブレードランナー2049にレプリカント役で出演しているのだがやはりそいううことなのだろうか、どここか無機質な感じを受け、生々しくない。そう「ぼくが考えた美女」みたいな頭の中で作ったような。だからベッドシーンも興奮しないぞ。うん、もっとやれ。

美女がちゃんと美女であり、悪女でないので後味も悪くない。ただ彼女の恋人の方、ネイビーシールズの隊員でありチームを金塊騒動に引き込むチャーリー・ベイカーは記憶に残らない。それは他の隊員も一緒。

 

上官役のJ・Kシモンズ(セッションの鬼教官)とか、ヘリのパイロット役のユエン・ブレムナー(トレインスポッティングのスパッド)とかの方がよほど印象に残る。さてなぜだろう?そうか、この映画の主役はあくまでネイビーシールズというチームであり、1人1人の隊員じゃないんだ、と思った。

 

「俺たちは信頼で結ばれてるチームなんだぞ感」を押してくるとおもったらそういうことなのね。アクションが思ったより少ないはずである。一番の山場が水中戦なのも地味な印象を受ける一因か。(サンダーボール作戦みたいに日中じゃなくて暗いし…)

 

サブタイにあるナチスほぼ関係ないし(だいたい原題は『renegades』で裏切り者って意味らしいぞ)、敵役は一応いるけどホントに一応で直接対決しないし、一番どんぱちしてるのが冒頭でそのあとは派手なアクションないし、とツッコミどころがないわけではないけど後腐れなく見るにはいい映画だと思う。他に見たい映画がないそこのあなたは年末には見たことすら忘れているはずのこの映画を観に行こう。(褒め言葉です)

2017映画総括

去年は今までに比べて映画を見ることができなかった年でした。記憶にないほどです。あれ見たいこれ見たいと思っていて結局見れなかった映画が結構あります。そんな中見に行った映画でコレはいいぞと思ったものです。

 

ムーンライト

 

しみじみと思うけどいいホントいい映画です。静謐さの中に潜む熱情。マジョリティからの同調圧力に表立った反抗はせずとも膝を曲げることは決してしない。お前はお前であればいい、と自分を受け止めてくれる人がいるのは幸せ。そりゃアカデミー賞作品賞受賞するでしょうよ!

おぼろげな夜の海岸をバックにシャロンの視線が僕たちを射抜く。「それでいいのか?」と問いかけているようで、いたたまれなくなる。ありのままの自分でいることがどれほど難しくて、だからこそ激しく希う。どんな障害があっても諦めたくない、と思う。彼の視線は月明かりだ。

もう一回見たくなってきたました。大事な人とこの映画見れたら幸せだなぁ。見終わったら、語り合うよりも余韻に浸りたい。そうgo to the bed!

 

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

夜明け告げるルーの歌

 

昨年から今年にかけて何かと話題になった湯浅正明監督のオリジナルストーリーでの映画作品。

冒頭、カイが自宅を出てある階段をタタッタタッ、とリズムよく降りいるカットを見た瞬間にすげぇ〜よ〜〜なんでこんなことできるんだよぉ〜と思いました。評判がいい作品に築かれるひねくれ者の猜疑心という僕の心の橋頭堡を一撃で粉砕しました。グッバイタイタニック

シンプルだからこそ力強い物語と軽快な語り口。さいこーです。ルーーーーーーゥゥゥゥゥぅぅぅ!!!!!と叫ぶシーンは鳥肌がたちました。アニメ楽しい。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

 

こちらはアカデミー賞主演男優賞を受賞した作品です。どうぞごゆるりとご鑑賞ください。そして泣きましょう。

個人的な好みの話ですが、幸せとか満たされている人よりも寂しくて悲しく、いわゆる負の感情でいっぱいな人に惹かれます。惹かれるっていうか、もっと知りたいって思います。彼は何を見ているのか、何を感じているのか、何を思っているのか。

彼は人は一人一人違う存在だってことを悟らせてくれる人。甥と叔父、血の繋がりはある。あるんだけれどもどうしても壁が壊れない。もともと壊れているのかもしれない。ただ瓦礫が堆いから、乗り越えることはできない。哀愁漂うリチャードの顔、自分の過去が刻み込まれたこの顔がとても男らしい。他人に責を負わせない。この痛みは彼自身の行いの結果だ。彼自身のものだ

そんな人とどうやって触れ合えばいいのか、その一つの形を示してくれた気がする。

 

リベリアの白い血

 

どうして見に行こうと思ったのか、きっかけは忘れてしまったけれど過去の自分は素晴らしい感度のアンテナが立ってた!地球は広くて狭いってことを言葉でなく画で語る。

人種とか貧困とかそんな問題も伝わってくるけれど、僕は地球は広いようで狭くて、狭いようで広いってことを教えてくれたからこの映画が大好きです。

星空を見て広い地球全体に思いをはせるっていうのはありふれた比喩だけれど、タクシーのタイヤ交換でも表現できる。

 

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

ストレンジャーシングス 未知との遭遇

 

映画じゃなくて連続ドラマです。お仕事先の人から勧められて連ドラはちょっと気が進まないと思いつつ見はじめたら、もうあっちの世界に体浸かってました。冒険あり、謎あり、恐怖あり、青春あり、超極上のエンタメでした。

引きが上手ですぐ次を見たい気持ちになり、現在シーズン2まであるこのドラマを3日で全部見ました。シーズン3の制作も決まったとのことで今から期待に胸弾みます。ただ、NetFlix独占配信のドラマなので見るには加入しないといけません。テレビ放映だから尺を気にせずに上手に引きが作れるのかな?

 

タイトルがダサかっこいい。少年達もダサい。ちょっとオタクな少年達。だけど友達のためなら恐怖だって乗り越えられちゃう、勇気が出せる!かっこいいぞ。ぼくも冒険がしたくなった。誰かいまから線路を一緒に歩こうぜ!

4人組っていいよね。2人ずつで別れて行動もできるし、作戦行動における最小単位としてはぴったり、って4人のうちの1人は早々に行方不明になるのだけれど、向こう側にいるその子、ウィルとのやりとりはドキドキワクワクする。

 

作品全体から漂うレトロフューチャーな感じもたまらんかった。でかい無線機が好き。

 

面白いドラマだった。SF、怪奇ものが好きな人は見るべし。登場人物皆魅力があります。人物以外も魅力があります。見せ方か?見せ方が上手いのか?

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他にもありますが大きかったのは以上になるだろうか

うーん、今年はいっぱい映画見るぞ・・・・・・

 

 

リベリアの白い血

リベリアの白い血(out of my hand)を見て色々思わされたので書きます。この作品の詳細な紹介とか、バックホーンとかはここでは書きません。僕が見て思ったことを書いていきます。

 

あらすじ

リベリア共和国のゴム農園で働くシスコは四人家族の家主。日が昇る前に起きて日が沈んでも働く、だがそれほど働いても暮らしはよくならない。閉塞感を感じる中、同じくゴム農園で働く同僚たちとストライキを起こす、が失敗する。

何も変えることができず、以前と同じ環境に戻るのに抵抗を覚えたシスコは従兄弟の伝手を頼り遠く離れたアメリカ、ニューヨークでタクシー運転手として働くことに決める。

 

自分とは遠く離れた世界を映しているはずなのにそんな気がしない。横を見て後ろを見て前を見ればこの映画の光景に行き当たる。リベリアとニューヨークの距離は地図上だとしても指を伸ばした程度では済まない、が空間的な距離があっても起きていることは変わらないことを伝えてくれる。

日本人の僕からすればゴム農園の光景にはやっぱり物珍しさを覚える。それでたぶんこれからゴムを見るたびにこの映画が頭に浮かぶことになるなぁと思った。木の幹を削り取り、滲み出る樹液が小さなプラスチック製の赤いカップにゆっくりと垂れ落ちる光景。このゴム農園に限らず、リベリアだけでなくあちこちで、それこそ毛穴みたいにこんなところがたくさんあるはず。そのことを僕は知らない。知ろうとしなかった。ゴム農園の状況を『知らなければよかった』とは思わないけれど『このことを知って僕の何かは変わるか?』と考えると正直「変わらない」と思う。けれど変わりたいとは思った。行動にうつせなくても考えるだけでもいいのだろうか?

 

何より人ってどこにいても、それこそ銀河の果てと地球ほど離れていても変わらないと思った映画だった。シスコはぼくとは全く違う人間だ。歳も違えば人種も違う。生まれたところも育った環境も、してきたこともなにもかも違う。そこから生まれる気持ちの濃さにも違いはあるだろうけれど何かわかる、と思う。

映画のシーンを思い起こすと、たとえ何が起きていようと素直に受け入れられるような光景ばかり浮かんでくる。ただ、それが普通とか平凡とかそんなことが言いたいんじゃなくて僕の中にもあるはずの人という生き物の根っこにどこかで繋がる感じ。それにこの映画の光景はやっぱり綺麗だもの。その綺麗さの奥にどこか哀切さもぼくは感じる。ゆっくりと心に釘を打ち込まれてるような。

 

それで変に上から目線というか、何様目線になってしまうのだけれどこの映画を撮ったのが僕と同じ日本人だということを嬉しいと思う。どうだ、こんな広くて大きい映画を日本人も撮れるんだ、と。この映画の監督の福永壮志監督はまだこれが長編映画一本目だという。次の作品を楽しみに思う気持ちがすでに走り出す。

 

いい映画なので興味を持った方は是非見に行ってください。

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茄子の輝き

同じ記憶を様々な事柄でなんども反芻する。その時、過去もしくは現在どっちにいるのだろう。見ることのできない四次元軸はねじれて跳ぶ。

些細なこと、毎日の中よく触れること。これも誰かにとって一生残るような記憶になるかもしれない。人の頭の中を覗いて逐次チェックするなんてことはできないが、今僕が、思い入れなく感慨を覚えず、むしろ嫌いかもしれないことが大切にしたいものになることがあるのだろう。

 

市瀬(主人公)は妻の記憶を引きずり、奇天烈なコラージュ写真を作ったり、お日様にさらした布団の匂い、かわいい職場の後輩の千絵ちゃんなどなどいろいろなことから彼女のことを思いだす。これは未練とか後悔とかそんなものではない。昔の自分とは今の自分はひとつづきであり、切り離すことはできないのだ。

気持ちに名前をつけようとすればするほどかえって遠ざかってゆく気がする。だからただ正直に思ったことを書く。

 

文に漂う浮遊感、言い換えれば地に足がつかない。ゆらゆらと身をまかせるのは快いがどこか希薄だ。それは自分のことをどこかで冷めてとらえているからか。

ぼくはそれを肯定も否定もせず、そもそもそんなものするものでもないし、一度受け入れてこうやって文章にしている。

 

そんな本『茄子の輝き』。

なお、僕も茄子は大好物だ。

 

茄子の輝き

茄子の輝き

 

 

マダム・エドワルダ

introduction

敬虔なカトリック教徒が信仰を棄て、コレを書いたのかと思うと空いた口が塞がらない。あまりにも放埓で卑賤なので嫌悪感を覚える。しかしそれと同時に楽しそうと思う自分もいる。う〜ん、まいっちゃう。

 

author

ジョルジュ・バタイユ・フランスの思想家でニーチェの後継者をいわれもしたそうだ。その思想は天を穿ち地獄を覗くほど反社会的。この小説からもそれはわかる。著者近影を見て顔と頭は関係ないとわかっていながら「この顔でこんなもん書いちゃうのか……」と思ってしまう。

世間一般的に、真面目な人ほど思い詰めると抜け出せない、というようなことが言われるが、彼の場合「抜け出せないことが分かった為に悟りが啓けたのでは?」と感じた。

 

plot summary (表題作「マダム・エドワルダ」)

 

墓場のように寂れ氷のように凍てついた夜の街の中、苦悩に苛まれた「俺」はマダム・エドワルダを見つける。彼女はどんな娼婦とも違う……陶酔と死、あけすけな淫靡が満ちる美に溢れた一夜の話。

review

 

感想なんて書かずに今すぐこの本について誰かと話したい、という気持ちでいっぱいになった。

どうしてこれを書いたのか、これを書いて何を言いたいのか?を考えた時、生とエロスは(エロスって書くと途端に俗っぽくなるなぁ)どうしようもなく深く結びついている、ということが言いたいのだろうと考えた。正直に言えばそのくらいのことしかわからなかった。

おれも夜のように裸になりたかった。ズボンを脱いで、腕にひっかけた。おれの股間と夜の冷気を結びつけたかったのだ。

「マダム・エドワルダ」のこの文章を読んだだけで両手を挙げて降参したくなった。笑いたくなるような文章なんだけど、1ページ目からこれではこの先はどうなるのかわかったもんじゃない。

その懸念通りに、どんどんぶっ飛ぶ話。感じたことは「こんなの見てらんない」。

 

そして今回、この本を手に取ったのは表題作ではなく同時収録されている「眼球譚」が読みたかったからだったのだが……マダム・エドワルダも大概だったがなんだよコレェ!通勤途中の電車の中で読んでいいもんじゃないよ!

「お皿は、お尻を乗っけるためにあるのよ」 

何を言っていらっしゃるの?と思わずにはいられない。読んでいくと、登場人物たちはオルガスムスに達するために、常識で考えれば汚らわしく忌避されている行為を次々と行ってゆく。そして、満足している。この本を読んで嫌悪感と好奇心が入り混じっている自分がいる。

 

ちょっと話はそれるがエロいもの、ことは「大好き!」とは言いにくい。だけどどんな人間だって関心はあることだと思う。どうして「大好き!」と言いにくいのかを考えた時、あまりにも個人的な事柄かつ生々しいからだろう、というのが自分の結論です。エロについて語る時、どうしても自分の肉体から離れて語ることはできない。これ以上突き詰めると自分の性癖を晒してしまう事態に陥りそうなのでストップをかけますが、このストップをかけないのがバタイユでした。

エロいエロい言っていますが、そのエロを通じてバタイユは一体何を書こうとしたのか?が焦点です。

この本には小説だけでなく、著者本人によるエロティシズムに関する言論も同時収録されており、それを小説を読み終わった後に読むと、言っていることがわかるような分からないような気分になった。

この『エロシティズムと死の魅惑』という題の講演・討論会を読んで思ったのは「エロについてここまで熱く語り合えるって羨ましい!」というちょっとずれた感想でした。だから僕も誰かと語り合いたくなったのかもしれない。

人の根源的生命活動と言えるエロを通して、自分の中に潜り込む。他者とわかりあう、分かち合う。生と死に近づいて己を探る。はい、何を言っているのか僕自身よくわかりません!一つ言えるのは、この小説のことは忘れないだろうということ。

なお、眼球譚はロード・オーシュという変名で書かれており「便所神」という意味らしい。ホントこいつなんなんだ!?気になりすぎるぞ。

「エロシティズムとはおしなべて死のうちに見出される生命の肯定」

 

マダム・エドワルダ―バタイユ作品集 (角川文庫クラシックス)

マダム・エドワルダ―バタイユ作品集 (角川文庫クラシックス)

 

 

 

ムーンライト

introduction

 

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アカデミー賞を作品賞・脚色賞・助演男優賞の3部門で受賞したのが『ムーンライト』だ。今回、あらすじやPVでの知見は無しでの鑑賞。知っていたのは黒人の少年の話だ、というくらい。

結論から言うとこの映画が大好きです。

 

plot summary

 

リトルというあだ名があり、唯一の友達にはブラックと呼ばれたりもするシャロンという男の子の話。

 

cast&crew

 

監督はバリー・ジェンキンス。名前も聞いたことが有りません。この作品が長編第2作目でかつ年齢は30代の半ばで若手。「ラ・ラ・ランド」で一躍時の人となったデイミアン・チャゼルと似たようなプロフィール。

 

キャストに関しても知らない人ばかり。助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリは以前見たことのある映画に出演していたようだが記憶にない。しかし、すごかった……

 

report

 

映画を見ていない人はあまり読まないほうがいいかもしれません。

 

 

 

ムーンライトはシャロンという男の子の話。シャロンはちょっと内向的で友達もおらず、翻っていじめられるような男の子だ。その男の子が愛を探し求める話だ。3部構成の物語。

 

1部.リトル

内向的なシャロンは友達から走って逃げている。なんとか引き離し空き家に逃げ込み鍵を閉めるが窓から石が投げ込まれる。そこでじっとしていると麻薬の売人のフアンがやってくる。

「ここで何をしているんだ?」シャロンは一切口を開かない。食事を食べはするがフアンに何も答えようとしない。家の場所を聞くもそれすら答えないのでフアンは自分の家に連れてくる。そこにはフアンの女のテレサがいた。

 

母親からほぼ育児放棄に近い扱いを受けているシャロンにとってそこは心休まる場所であり、人がいた。シャロンはフアンに家まで送り届けられたあと、しばしばフアンの元を訪れる。

そこには自分のことを気にかけてくれる大人がいる。シャロンが自ら話すのを辛抱強く待ち、そしてしっかりと聞いてくれる。無表情で可愛げのないシャロンを遠ざけたりしない。実の親に愛されず、同年代の子供からはいじめられるシャロンにとってフアンは初めての心許せる大人だった。何も言わずとも隣にいれる、苦しくない。

 

そう、シャロンは「語らない」。口をひらいても言葉数は少ない。じゃあ、どうやってシャロンの心の中を語るのか?

見せて、聞かせるしかない。

このムーンライトという映画ですごいのはここ。ごく自然にそのことをやってのける。観ている間「シャロンは何を思っているんだ?」とずっと考えていた。考えさせてくれる映画だった。それもシャロンではない他人の口から特に彼について語らせることもせず、モノローグを使うこともせずに。

シャロンが虐められているのは母親が売春婦だからだし、シャロン自身がゲイ(この時点でシャロンはそのことに自覚的ではない。ただ、男らしくない男であるため標的にされている)だからだ。そして、そのことを見せること、聴かせることで伝えてくれる。映像もすごいし音楽もすごいです。綺麗でどこか寂しい。

 

なぜ語らないのか、語れないのか。シャロンの唯一の友人のケヴィンは「お前はタフだ」と彼のことを評する。確かにそうなのかもしれない。でも、見えない胸のうちの苦しみを吐露しないのはタフだからだけじゃない。その抱えている気持ちをどうしたらいいかわからないからだと思う。そして自分自身のことすらよくわからなくなっていく。シャロンは答えを探し続ける。

その気持ちを抱えたまま1部は終わり、2部の「シャロン」へ続く。

 

2部.シャロン

ただ溜め込んでいるだけの幼少期と別離するのが2部から3部にかけて。体も大きくなり、できることも増えた。だけど口数少なく内向的であることは変わらない。

シャロンは語らない、と言った。では語らせる工夫はできないのか?

見せるや聴かせるではなくて。

シャロンは内向的といったが唯一の友人、ケヴィンといるときは表情が柔らかく冗談も言う。フアンがいない今では彼といるときだけが安心できる時間。その時にはシャロンも心中を話す。シャロンだって信頼できる人、愛する人になら自分のことを話すことができる。その時のセリフが

「泣きすぎて水滴になりそうだ」

シャロンはもうゲイであることもはっきり自覚している。このセリフは口数が少ないシャロンが言うからこそ鋭く胸を抉って、とにかく走り出してしまいたい気持ちになる。

 

そして、ある事件が起きて2部は終わり3部の「ブラック」。

 

自分は何者なのか、何がしたいのか?が全編通して問われる。フアンが幼いシャロンに言った「自分の生き方は自分で決めろよ」はシャロンにとって道標でもあったが呪いでもあったのかもしれない。

そして、その問いは僕たちにも突きつけられる。最後のシーンを見ると冷たい光で射抜かれたようで。自分の胸の内に何があるのかをのぞき見られているような、落ち着かない気持ちになった。

 

語らない映画についてこれ以上語るのは味気がなくなってしまいそうなのでこの辺でやめにします。大好きな映画の一本になりました。