常々感想記

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佐々木、イン、マイマイン

 

青春とは若者だけのものである、と誰かが言った

青春とはモラトリアムである、と知った顔で誰かが言った

青春とは大人になるための通過儀礼である、と決めつけるように誰かが言った。

 

いや、そのどれも間違っている。

青春とは…

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「佐々木、イン、マイマイン」を観てきました。ここでぐだぐだ映画について書くよりも、観てきてもらった方が、自分の言いたいことも伝わる気がするのだけれども(それをいっちゃおしまいよ)、関東での公開は終わりつつあるのでそうもいかない。よっしゃ一肌脱ぎますか!

 

あらすじ

石井悠二は、俳優になるために上京したものの、鳴かず飛ばずの日々を送っていた。 別れた彼女のユキとの同棲生活も未だに続き、彼女との終わりも受け入れられない。
そんなある日、高校の同級生・多田と再会した悠二 は、高校時代に絶対的な存在だった “佐々木”との日々を思い起こす。 常に周りを巻き込みながら、爆発的な生命力で周囲を魅了していく佐々木。だが佐々木の身に降りかかる“ある出来事”をきっかけに、保たれていた友情がしだいに崩れはじめる——。

そして現在。 後輩に誘われ、ある舞台に出演することになった悠二だったが、稽古が進むにつれ、舞台の内容が過去と現在とにリンクし始め、加速していく。
そんな矢先、数年ぶりに佐々木から着信が入る。悠二の脳内に鳴り響いたのは、「佐々木コール」だった。

STORY|映画『佐々木、イン、マイマイン』公式サイト より

 

 

ぶっちゃけすごく人に勧めにくい映画です。

いや、面白いとは思うの。けれど超有名俳優が出演しているわけでもなし(ごめんなさい、出演俳優みんな知りませんでした)、観たこともない画作りをしているわけでもない。ではストーリーが素晴らしいのかというと、ストーリーはむしろほぼないし、語り口が卓越しているのかというとそうでもない。

じゃあ何がよかったの、と聞かれたら僕は【何もないかったるい時間】だと答えます。

主人公の石井視点で今と昔(高校時代)が行ったり来たりするのですがこのほぼすべてが物語の進行に寄与しません。石井悠二という人の現在を伝えるために描写こそすれ、主人公の行動で何かが変化したりは一切ないです。夢に手が届かず、短期労働(多分)をして漫然と過ごす現在。ただ友達とグダグダとすごす高校生時代。何か劇的なことが起こるわけではないし、突如世界が変貌したりもしない。

ただこのありさまはリアルです。なぜなら僕らが経験してきたものをそのまま撮っているから。この時間に息苦しさとなつかしさを感じるのは当たりまえでしょう。この無為な時間は大半の人間が経験してきた【青春】だから。

 

そもそも青春とは何か?

一般的には、若く溌剌とした時期=高校生~大学生くらいの時期を指す言葉として使われていると思います。それが肉体的な若さのことを言うならその通りで30過ぎた人がわたしぴちぴちナイスボディーです!と言い張っていたら目を背けず鏡を見なさい、と言ってあげるべきです。

つまり、青春とは時期を指す言葉であり青春そのものが物語になることはありえません。

何をわかりきっていることを、とお思いかと存じますが、青春小説とか、青春映画とかはあくまで【青春】の時期に起きている出来事を語っているだけです。そう、物語とは語り手が自分の語りたいことを澱みなく伝えるために枝葉末節をそぎ落とし、わかりやすいように整え、パッケージ化する行為だから。巷にあふれる青春なんちゃら~と銘打ったものはあくまで青春の一部を切り取ったものであり、そこで描かれているのは一種のファンタジーです。

僕にも中学入ったら金八先生みたいな日常が待っていると思ってた友人がいましたが、現実を目の当たりにして残念がっていました。ええ、過去の自分もそうでした。高校入ったらGTOみたいな世界が待っていると信じてましたよ…そんなわけないのにね。

そして、これがわかっていると映画がより面白くなるのではと思います。なぜなら「佐々木、イン、マイマイン」はその青春自体を撮ろうとしている映画だからです。

あくまで個人的な意見ですが青春ってそんな華々しいことばかり起きるわけじゃない。何もない日の方が圧倒的に多いし、失敗したり恥かいたりすることの方が多い気がする。でもそれが青春なんじゃないかと。

 

佐々木という高校時代の友人によって背中を押されて選択をした大人になった男が視点人物で、青春を回想する。佐々木というお調子もので人に迷惑をかけるも憎みきれない、青春の権化である存在を撮る。そして青春そのものである時間を重ねつつ、大人になった【今】につなげる。

何もないかったるい時間の積み重ねの後、終盤になってようやくストーリーが動きます。そして、映画のラストで時間にすれば本当に少しだけですが鮮烈に爆発した青春パワーには破顔してしまいました。

青春とは肉体的に若いある時期を指す言葉だといいました。青春は無為な時間の積み重ねだとも言いました。けれども、自分の好きな詩人の言葉を借りれば「青春とは心の若さ」でもあります。その意味でこのラストの瞬間は若さを取り戻しています。これは青春に違いない…

 

この映画は監督やメインの俳優が自分とほぼ同年代なんですよね。1992年~1993年生まれくらいの世代です。20代後半で30代を目前にしている世代です。この世代だからこそ撮れた映画かもしれないと思います。青春を忘れず、かといって青春におぼれず、といった年代なのではないかと。

しかしだからこそ同世代が映画を観ると、感覚的に同調したり反発したり、といろいろ胸に迫るものがありそう。そしてつらくなるかもしれない。ほんと赤ん坊出すのはずるいし、それが木村(主人公の高校時代の仲良しグループの一人)と一ノ瀬(高校の高嶺の花的存在)の夫婦の子供とかやってくれたな!と言いたいです。

 

個人的にニヤニヤしてしまったのがこの映画に不可欠な無意味な時間を持たせるためのアイテムである煙草!お前この映画だけで何回吸うんだよってくらい主人公の石田はやたらと煙草を取り出し火をつけて一服します。煙草って吸ってるだけで画が持つし、演出にも便利なアイテムなんですよね~。でも最近のテレビドラマとかではあまり出てこない。やっぱり締め付けがきつくなっているのかしら。

 

この映画の俳優陣はいい意味でみんな地味でした。映画から浮かず、現実との地続き感がすごい出ていたのでgood!特に多田役の遊屋慎太郎さんが好きです。仲良しグループの中でいち早く大人っぽい印象を醸していたんですが、物の見方や話し方がそれっぽいし、居酒屋で悠二をやや忠告めいたことをいうシーンは好きなシーンの1つです。まぁ、かつて高校生だった2人が居酒屋で酒飲んでたらそれだけでウルっときちゃうんですけど…こういう時間の流れを感じさせる演出には弱い。

佐々木役の細川岳さんはもうこの人しかいないと思わせてくれたので二重丸です。髪形がややボンバーですが、佐々木は爆発しているやつなのでOKです。

ただなー、石井の彼女役の萩原みのりさんと一ノ瀬役の小西桜子さんが可愛すぎるんですよ。いや、可愛いのはイイことなんですよ。全然悪くないです。ただ男性役者陣のオーラに比べるとピュアピュアし過ぎというか、合ってないじゃないかなー。

 

はい、ということで最後は佐々木コールで締めようと思います。

「佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!佐々木!」