狐が風鈴を鳴らす

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リベリアの白い血

リベリアの白い血(out of my hand)を見て色々思わされたので書きます。この作品の詳細な紹介とか、バックホーンとかはここでは書きません。僕が見て思ったことを書いていきます。

 

あらすじ

リベリア共和国のゴム農園で働くシスコは四人家族の家主。日が昇る前に起きて日が沈んでも働く、だがそれほど働いても暮らしはよくならない。閉塞感を感じる中、同じくゴム農園で働く同僚たちとストライキを起こす、が失敗する。

何も変えることができず、以前と同じ環境に戻るのに抵抗を覚えたシスコは従兄弟の伝手を頼り遠く離れたアメリカ、ニューヨークでタクシー運転手として働くことに決める。

 

自分とは遠く離れた世界を映しているはずなのにそんな気がしない。横を見て後ろを見て前を見ればこの映画の光景に行き当たる。リベリアとニューヨークの距離は地図上だとしても指を伸ばした程度では済まない、が空間的な距離があっても起きていることは変わらないことを伝えてくれる。

日本人の僕からすればゴム農園の光景にはやっぱり物珍しさを覚える。それでたぶんこれからゴムを見るたびにこの映画が頭に浮かぶことになるなぁと思った。木の幹を削り取り、滲み出る樹液が小さなプラスチック製の赤いカップにゆっくりと垂れ落ちる光景。このゴム農園に限らず、リベリアだけでなくあちこちで、それこそ毛穴みたいにこんなところがたくさんあるはず。そのことを僕は知らない。知ろうとしなかった。ゴム農園の状況を『知らなければよかった』とは思わないけれど『このことを知って僕の何かは変わるか?』と考えると正直「変わらない」と思う。けれど変わりたいとは思った。行動にうつせなくても考えるだけでもいいのだろうか?

 

何より人ってどこにいても、それこそ銀河の果てと地球ほど離れていても変わらないと思った映画だった。シスコはぼくとは全く違う人間だ。歳も違えば人種も違う。生まれたところも育った環境も、してきたこともなにもかも違う。そこから生まれる気持ちの濃さにも違いはあるだろうけれど何かわかる、と思う。

映画のシーンを思い起こすと、たとえ何が起きていようと素直に受け入れられるような光景ばかり浮かんでくる。ただ、それが普通とか平凡とかそんなことが言いたいんじゃなくて僕の中にもあるはずの人という生き物の根っこにどこかで繋がる感じ。それにこの映画の光景はやっぱり綺麗だもの。その綺麗さの奥にどこか哀切さもぼくは感じる。ゆっくりと心に釘を打ち込まれてるような。

 

それで変に上から目線というか、何様目線になってしまうのだけれどこの映画を撮ったのが僕と同じ日本人だということを嬉しいと思う。どうだ、こんな広くて大きい映画を日本人も撮れるんだ、と。この映画の監督の福永壮志監督はまだこれが長編映画一本目だという。次の作品を楽しみに思う気持ちがすでに走り出す。

 

いい映画なので興味を持った方は是非見に行ってください。

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