狐が風鈴を鳴らす

本 映画 音楽 その他諸々の雑感を書き連ねるブログ

ハーモニー(映画)

………………??????

どうしてこうなった?

これは、恋愛映画になっている。

 

色々戸惑って正直わけわからないと思ったこの映画。

わからないのは改変した理由ではなく、動機です。何故そうしたかの根っこの部分がさっぱりわからんのです。

 

 

f:id:cigareyes:20151116212041j:plain

 

あらすじ

大災禍という未曽有の大混乱により、人間という存在が尊く捉えられ、人間の身体の保全こそが最重要だと位置づける高度発達医療社会になったこの世界。

そんな世界に息苦しさを感じる霧慧トァンは高校時代に御冷ミァハという友人がいた。ミァハはトァンよりも遥かに、この世界を憎悪し、自らを凶器として研ぎ澄ませていた。ミァハはトァンと、同じくこの世界に居心地の悪さを感じていた零下堂キアンに共に自殺をしようと持ちかける。自分のこの身体は自分だけのモノ、そう世界に宣言するのだ、と。そうして三人は自殺を図る。

そして向こう側に言ったのはミァハだけだった。

13年後、トァンは戦場にいた。螺旋監察官という命の使われ方を監視するWHOの役職に就いていたためだ。トァンは戦場という場を利用して、社会で禁止されている酒や煙草を嗜んでいた。しかしそのことが上にばれてしまい、謹慎の為日本に帰国することになる。

日本で彼女を待っていたのは一緒に死に損なったキアンだった。

トァンの目の前で突然自らの首をナイフで突き立て自殺するキアン。

キアンが自殺をしたのと同時に全世界でも何千人もの人が自殺を図り、実行していた。トァンはこの騒動の影に13年前に死んだはずのミァハの存在を感じる。

ミァハはいまどこにいるのか――何をしているのか――

トァンはミァハの影を追い、旅立つ。

 

 

 

これラブストーリーじゃん……

 

そう思った。

トァンとミァハの恋愛映画になってる。両者とも女性です。つまり百合。

ゆるいゆり、つまりゆるゆりも原作では確かに感じた。それよりも濃いです。おっぱい揉むしキスはする、ハグなんかは当たり前。

恋愛映画にした為か、やはり人物への印象も

トァン 人間臭く、バカになった。

ミァハ わがまま。実はトァンが大好き。

キアン 存在感が薄い。トァンとミァハの蚊帳の外。

という感じ。恋愛って人間臭い感情だもんな。

恋愛映画にするに伴って様々な改変が行われています。それはいいし、むしろそこが腕の見せ所だと思うのですが、わけわからない所を変えてくる。お前がわかってないだけだ、と言われてしまえば「そうかも」としか言えないけども。

トァンに私服は着せてほしかったなぁ。個人的に一番の驚愕だったのはウーヴェ。お前かよ、と突っ込んでしまった。なんてこった。

 

繰り返し恋愛映画と言っていますが、単純に好悪の話ではない。女同士だし。

あなたが好き!じつはぼくもなんだ、でもねかくかくしかじかでぼくたちは結ばれることはないんだ……。そ、そんな……でも、でもわたし諦めないからぁ!

そして結局二人は結ばれハッピーエンド。男女を逆にしてもいいです。こんなテンプレート利用の恋愛映画ではないです。

恋愛映画の見せ所はいかに大仰に機微を描くかにあると思っています。そうでないと全部同じ話になっちゃうし。しかし今回はそんなことは構わずOK。恋愛映画に不必要なほどの世界観と舞台がすでにあります。この時点ですでにある意味唯一無二の恋愛映画になっているでしょう。加えて女の子同士という、一部には大いに喝采を以て迎えられそうなシチュエーション。この世界について語っている彼女らはそれだけで恋愛してる。

「世界に対して永遠に続くものはないんだって、このからだは自分ひとりのものなんだって、いまここで証明して」
「や、やめてよミァハ」
「それと、たくさんの人が死んだっていうのは、どうつながるの」
「孤独の持久力」

もうどうせならトァンの顔をわかりやすく赤らめて「おっ、おおお、おっぱいなんて揉まないでよっ!」とでも言わせればなおのことよかったのではないでしょうか。そしてミァハは「そんなこと言ってもほんとは気持ちいいんでしょう……」とか嗜虐的に言わせたら完璧ですね。原作とは全くの別物になりますが。

 性質の悪い冗談は横に置いて、何故このハーモニーが恋愛映画になっているか。

それはトァンとミァハの関係性に焦点があてられているから。勿論原作でもそうです。しかし、尺の都合なのでしょうかはたまた脚本の都合でしょうか、削られ変わっているところがいうなれば天蓋だったんではないでしょうか。二人の愛を感じさせるベッドを覆う天蓋。文字と映像との違いだよと言い切ってしまうのでなく、そう思うと少し腑に落ちます。そうかこの観ていて感じる居心地の悪さは覗き見をしているときに感じるのと同種の背徳感からきていたのか……。

トァンの、2人で過ごした日々(キアンも入れてあげて!)の回想は、印象的でセンチメートルな映像のオンパレード。これだけでお腹いっぱい。病院とWatch Meでしか今、螺旋監察官であるトァンがいる世界との繋がりを感じさせなかったのはさすがです。あの日々はトァンの今までの生の中でも最も心安らかだったでしょうから、彼女が厭う世界とは無縁なわけ。

世界が自殺騒動で擾乱になっていてもトァンはミァハを追い続けます。この2人の恋愛模様は単純に好き嫌いではないです。さて、では一体何なんでしょう。

 

凄いピンクな背景は正直違和感しか感じないです。もう少し白っぽい方が好きです。違和感感じてるからいいのかもしれないけどやり過ぎだと思いました。

色々とアニメとして見応えあります。3Dは力入っているし、屍者の帝国同様背景にも。色々なガジェットも、未来予想図の一つとして面白い。拡視なんかはピクトグラム使って綺麗にまとめてあります。しかしここもピンク!もう、いい加減にしてチョー。

そして自分でも不思議だけど、こんなに音楽が耳障りな映画は初めてでした。常に気になる。矢鱈と意識に昇ってくる。われながら吃驚です。何でだろうな、よく解んないな。見ている間中ずっと気になりました。特に回想シーンでした、音楽止めろと思ったのは。この原因を探るためにはもう何回か見ないといけなさそう。

 

 

キャストに関してはミァハがぶっ飛んでいました。これだけでも観に行ってもいいと思います。ここにいるのにここにいない。人間とそうでない者の狭間の声、と形容すればいいのでしょうか。股間がヒュンとしそうな声です。声優は上田麗奈というのか。会話が多い映画なので何回でも聞けます。あの声で「自殺しようよ……」と言われたらお前人間か?と感じますな。

周りを固めるキャストは安定の布陣。しかしオスカー役に榊原良子は、こいつらわかってやがる……と思いました。聴いてもイメージぴったし。

この映画はマイケル・アリアス監督となかむらたかし監督の2人によって導かれました。その分意図が読みにくくなっているのでしょうか。この作品は百合恋愛映画になっています。で、それで何なのさ?と思っちゃった。ハーモニーはどうなったのさ。

やっぱりもう何回か見てみたいです。

 

さあ、女の子同士のピンクな世界に飢えている人!この映画を見に行こう。

 

 

cigareyes.hatenablog.jp