『蒲団』もふもふ
蒲団という題名だけしか知らず、いつ頃の作家なのかも知らず。今回紐解けば日本の私小説の先駆けとも言える小説だったそうな。私小説というよりか自然主義の代表作として解説には書かれていた。
私小説は自然主義の大枠の中に入るのだろう。そもそも自然主義ってなんだよ、とそんなことあまり気にしてこなかったわたし。フランスの作家ゾラが提唱し、一大ムーブメントになったと。『テレーズ・ラカン』の第二版序文で自然主義宣言を行ってから明確な形をとり始めたそう。*1読んだはずなのだが覚えていない。
自然主義=あるがままを書こうよ!ということでOKだろう。
写実主義とも繋がるモノがある。フィクションの否定でなく、現実に根ざした冷徹な目、科学的な分析(ちょっと?がわたしには浮かぶ)を元に物語を構築しようとする態度。
科学的な分析ってなんだよオラ。それは心理学精神病理学生物学その他諸々のことだろう。それらを生かしたより真実にせまるための手法。世にはびこる浪漫溢れる小説への対抗。
ヨーロッパにおいては写実主義と自然主義ははっきりと分かれていたみたい?しかし日本においてはそうでもなく、むしろ混じってしまった。この『蒲団』の他にも島崎藤村の『破戒』が自然主義文学の代表作とされているが現代から見たら「それ違うよー」らしい。
この『破戒』『蒲団』で自然主義は人の内面を隠さず赤裸々に語る小説なんだね!という誤解が生まれたとか。露悪的とかいう批判もあったが、まあ当時の人に受け入れられてしまい人気を博したというのが真実らしい。らしい、ばっかりだけど実際に読んだ作品が少ないのでなんとも言えないというのが正直なところ。
あらすじ(蒲団)
家庭があり知識も分別もある、世間に名を知られた中年の作家の女弟子への恋情
1907年の発表にしてはとても読みやすい。そして100年以上の時が経っていながら人って変わらないのね、と思わせてくれた。
女弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅ぐところでこの小説は終わるが、今でもやる人いるのではないか。蒲団に染みこんだ女の匂いを未練タラタラに嗅いで慕情を引きずる。十分現代でもありそうな話。
そこに至るまでは主人公である中年の作家の独白が延々と続き、それ以外の人物はあまり血肉を感じないな。「でも面白いからいいよ!」というのが感想です。
「とにかく時機は過ぎ去った。彼の女は既に他人の所有だ!」と始まって早々中年作家は叫びます。そこからはああすればよかったこうすればよかったと後悔のオンパレード。見栄と体裁を気にして、女弟子に迫ることができません。「すればよかった……強引にいったらOKだったかも」あなたは思春期の男子か。ツッコミを入れたいです。
女弟子に魅力を感じれないので少し滑稽です。女弟子は世間知らずの少し教養があるお嬢様。名前は芳子。世間知らずで少し頭があるって一番ドツボにはまるやつ。当時の基準から言えばハイカラなお嬢さん。男と出歩いたり帰るのが遅かったり。
でも本当にそれだけ。芳子は若い、それだけの理由で作家は彼女に惹かれるのです。他に何があるの?あの瑞々しいきめ細やかなお肌に触りたい!単純だからこそ抗いがたい。
今、中年じゃないからこんなこといえるんだろうなー。
『一兵卒』の方はというと『蒲団』と同じように主人公の内面を抉り取ります。その内容は、日露戦争の最中、一人でひっそり死んでいく兵隊の孤独。兵隊が死ぬところを誰も見ていません。寂しいなぁ。でも全然感情を入れて読むことができませんでした。話の短さもあるし、加えて今のわたしに戦争というものが想像しにくいからでしょう。