狐が風鈴を鳴らす

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ワルシャワ・ゲットー

第二次世界大戦時、最大の受難者はユダヤ人だった。

彼らは排斥され、隔離され、処理された。ユダヤ人は人ではなく、羽虫のようにあっけなく命を散らしていった。奴隷以下の扱いを受け、そこを歩いていたから、という理由で殺されることはおかしくもなんともない日常でのことだった。

ゲットーでの彼らの生き様は、記録され、地下深く埋められた。そして戦後、発掘され、いまぼくの目の前に書物としてある。

 

平気で想像を超えてくる。これは本当にあったことのなのか、と疑いたくなるようなことが山ほど。この”ワルシャワ・ゲットー”はゲットー生活を記録し続けた証。さまざまな事件や経験が書き連ねてある。これを記したエマヌエル・リンゲルブルムも戦後を待つことなく処刑された。

ユダヤ人が受けた艱難は際限のないものだった。生きていくために盗みは当然、騙され金を巻き上げられ、警官に賄賂を渡さなければすぐにでも死んでしまうような毎日。いや、ただ死ぬのならばまだいい。労働収容所に連れて行かれたら、もう帰ってこないことはよくあり、それを避けるためには重ねて賄賂や物品を差し出す。では、もう渡すものがない貧しい人たちは。

ユダヤ人同士の中でも密告しあうことはざらにあり、特にユダヤ評議会という組織は金を吸い上げるためにあるような組織だったようだ。同じ困難にあるはずの人たちでも足を引っ張りあい、貶め合う。無論ドイツ人が最大の厄災だったことは疑うよしもない。

この記録は、この記録を残していることが知れたら、処刑されるという状況で書かれた。克明に施政が、事件が記録される。

レシュノ街のもう一つの事件を耳にした。トラック満載の髑髏隊があらわれ、突然トラックが停車して兵隊が道路にとびおりたかと思うと、すさまじい略奪がはじまった。 ー中略ー ユダヤ人を地面に投げ飛ばし、血を吐くまで足で踏みつけた。

あるユダヤ人が眠っていて笑ったりわめいたりした。女房がゆり起こすと、彼は怒ってどなりつけた。「せっかく夢を見てたのに!『ユダヤ人を叩きのめせ!やつらの屠殺儀式をやめさせろ!』と壁に落書きがしてあったんだ」。「それじゃなぜあんなに喜んだりしたの?」「わからんのか?むかしのいい日が戻ってきたって証拠じゃないか!またポーランド人の世の中になったんだ」。

 今夜、14日、私は三つか四つの小さな子のあわれな鳴き声を聞いた。おそらくこの子は、数時間先の朝には凍死体で発見されることになるのだろう。10月はじめに初雪が降ったとき、70人ほどの子供が廃墟となった家々の階段で凍え死んでいるのが見つかった。子供の凍死はどこでも見られる現象になってきている。

 ユダヤ人はアイデンティティーを剥ぎ取られていた。ユダヤ人であることが死に繋がる世界。よくもここまで人を貶める方法が思いつかれたものだ。底なし沼である。流言にすがり、戦争がもう直ぐ終わるという希望を持たねば生きて行けないという状況。単純に絶望より恐ろしい。

また連帯責任という枷も嵌められる。「お前が電気代を払えなかったら、このアパートの電気を止める」払うしかない。いくら法外な値段になっても。騙し取られることがわかっていたとしても払うしかない。まともな人ならば。

 

こんな状況の中でもわずかに心根の優しいひとや、体制に屈しないように踏ん張っているひとはいる。ゲットーから外に出るのを見逃したり、手入れの情報をあらかじめつたえてくれたり。この記録を残したリンゲルブルムもその一人だ。すごい。すごいとしか言えない。

 しかし本当にこんなことがあったのか、正直信じられないし信じたくない。

このワルシャワ・ゲットーは最後、ほとんどの住民が殺戮収容所に送られたころ、武器を手に抵抗が始まった。が、ドイツ軍による虐殺にあい、壊滅した。

ワルシャワ・ゲットー―捕囚1940‐42のノート

ワルシャワ・ゲットー―捕囚1940‐42のノート