茄子の輝き
同じ記憶を様々な事柄でなんども反芻する。その時、過去もしくは現在どっちにいるのだろう。見ることのできない四次元軸はねじれて跳ぶ。
些細なこと、毎日の中よく触れること。これも誰かにとって一生残るような記憶になるかもしれない。人の頭の中を覗いて逐次チェックするなんてことはできないが、今僕が、思い入れなく感慨を覚えず、むしろ嫌いかもしれないことが大切にしたいものになることがあるのだろう。
市瀬(主人公)は妻の記憶を引きずり、奇天烈なコラージュ写真を作ったり、お日様にさらした布団の匂い、かわいい職場の後輩の千絵ちゃんなどなどいろいろなことから彼女のことを思いだす。これは未練とか後悔とかそんなものではない。昔の自分とは今の自分はひとつづきであり、切り離すことはできないのだ。
気持ちに名前をつけようとすればするほどかえって遠ざかってゆく気がする。だからただ正直に思ったことを書く。
文に漂う浮遊感、言い換えれば地に足がつかない。ゆらゆらと身をまかせるのは快いがどこか希薄だ。それは自分のことをどこかで冷めてとらえているからか。
ぼくはそれを肯定も否定もせず、そもそもそんなものするものでもないし、一度受け入れてこうやって文章にしている。
そんな本『茄子の輝き』。
なお、僕も茄子は大好物だ。