常々感想記

本 映画 音楽 その他諸々の雑感を書き連ねるブログ

『君の名は。』感じて想う

 

ネタバレをするつもりはないけれど、書いているうちに内容に触れることもあるかもしれない。頭まっさらで見たい人は読むのを思い止まろう。

f:id:cigareyes:20160826215517j:plain

 

 Introduction

 

前作から比べると、その上映規模と広告展開の多岐さに新海誠もここまで来たか、と思わざるを得ない。おセンチなアニメーション監督として名を馳せる彼だが正面から堂々と王道に殴り込みをかけた『君の名は。』だ。

今回の映画で何よりもぼくが驚き、喝采を送ったのがその飛び抜けた強引さである。ここまで強引で無理を通して、どうだ!と見せびらかした映画は久しく見てなかった。何より注目したいのはそれを成し遂げたエンタメ映画への進化である。

 

Cast and Crew

 

監督は新海誠。綺麗な背景を丁寧に丁寧に描き、揺れ動く人の気持ちを言葉もそうだが背景にも託す監督である。ボーイミーツガールを、青臭く、キラキラと眩しく、もう見ているこっちがやりきれなくなるほどに(羨ましい)描いちゃう監督。製作中、自分の心を正気に保てるのだろうか……

加えて安藤雅司というジブリで『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』という国民的作品の作画監督も務めた人がこの映画で作画監督を務める。これで作画に注目しないというのは損ですよ。損。

音楽はRADWINPS。この映画は劇伴に合わせて内容も変えていったらしいですよ。音楽が強引さの一翼を担っています。もうびっくりするくらい。

 

Plot Summary

 

千年ぶりとなる彗星の来訪が一ヶ月後に迫っている日本。

彼女は夢を見る。彼になっている夢を。

彼は夢を見る。彼女になっている夢を。

互いに夢だと思いながら、山奥に住んでいる三葉は憧れの東京生活をエンジョイし、東京に住んでいる瀧は女になった自分を面白可笑しく楽しんで日々を送っていた。しかし、なんども繰り返される不思議な夢。ついにお互い疑念を抱く。「これは本当に夢なのか?」

抜け落ちている記憶、した覚えのない行動、変化している周囲の反応。

「私/俺たち、入れ替わってる!?」

戸惑いながら幾たびも重なる入れ替わりにも慣れ始め、互いに日記や連絡事項を書き残し、喧嘩をし、この不思議な状況を楽しんでいた二人。

しかしある日、突然その入れ替わりが終わる。ぽっかりと胸に穴が開いたような気持ち。瀧は三葉に直接会いに行くことにする。

「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く」

その先には意外な真実があった……

 

Review

 

男女入れ替わり逆転ものは数多い。だって面白そうじゃん!というのがその理由だろう。男が女で、女が男。そこから生まれる齟齬は見ていて可笑しくて面白い。現実にはあり得ない現象だからこそ、安心して笑い飛ばすことができる。さあみんな大いに笑って、大いにびっくりしましょう。

強引さもそうですが、物語もちょっとびっくりしますよ。

加えてそれだけでもないです。

 

強引さってなんのこと?冒頭は二人のモノローグから始まる。異なるカットをモノローグを使って繋げて、離れたところにいる二人を描く。OKOKここまでOK。直後、劇伴がガンガン鳴ります!

「え、え?」OPが始まります。こんな映画作る人だったけ?OPでも、OPだからこそでしょうか、より一層二人の日常をカットを背景と共につないでつないで描きます。クロス・カッティングに次ぐクロス・カッティング。そのまま見ていたら退屈になりそうなところを描いています。

冒頭の勢いで心をつかんできます。「あいやー……」

すごく意外でした。もっと静かな映画を作っている印象を持っていたので。これは冒頭だけの話ではありません。劇中でもここが盛り上がりどころだよーってところでジャジャジャーン。映画に合わせてむしろ映画が合わせた音楽に乗って物語が展開されます。ほれ、盛り上がれ!とあからさまな演出に笑います。そこで見せ場でもなく、見せ方もどーしようもないものだったら皮肉を含んだ笑になりますが、ちゃんと(失礼だな、おい)物語の変化あり映像の見せ場ありなので身を任せます。しかしその回数がかなり多い。

 

新海監督の他の長編アニメーション映画は間延びしている印象があります。逆に短編はテンポいいです。だから『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』の感想を耳にする機会が多く、『雲の向こう、約束の場所』や『星を追う子ども』の話はあまり耳にしないのでしょうな。

エンタメを徹底した『君の名は。』ではそんなことはありません。むしろテンポが良すぎるくらいです。ちらりとよぎる疑問を置き去りにする速度です。「細かいことはいいから楽しめ!」という姿勢に今までと違う監督の姿を見ます。

が、映画ではなく、ものすごく長いPVを見ているような印象も持ちます。

 

瀧と三葉という2人が主人公。2人の視点がくるくる入れ替わり、物語を語っているのですが、直接会話をするのは数えられるほどです。監督曰く(舞台挨拶にて)「出会う前の少年少女の話がやりたかった」2人がお互いの姿を目におさめ、言葉を交わすのは実は少ない。演出でそう見せているだけなのです。

まあそれは置いといて、「少年少女が出会うまでの話」を物語にするのは大変です。それを実現するために”夢”と”入れ替わり”という要素をつけました。

この映画は確かに映画ではありますが、映画というより散文詩です。これはこの『君の名は。』に限った話ではなく、この監督のそれ以前の作品群にも言えることですが。

台詞も、端的にそれらしくほのめかす。重要な台詞ほどはっきり言わない。人物より背景をクローズアップする。タイトルも『君の名は。』助詞で止めると余韻は残る。

新海監督の映画の背景は綺麗ですが、どう綺麗なのかというと”光”につきます。だから現実にある場所でもどこか現実ではないような感覚(あんなに東京綺麗じゃないです)がより際立つ。印象に残る残す。

PVっぽいわー。(散文詩なのかPVなのかどっちなのか)

 

今時の青春恋愛映画はどこかひねらないといけません。おそらくみんな気づいたのしょう。「こんなのあり得ない」と。昔はまだそれを許容し没頭できたが、今は見ている間は楽しみながらも頭の片隅で「あり得ないよなー」と思ってしまいます。みんな理知的になったのでしょう。

だからこそ最初から現実にあり得ないお話を提示すれば、そんな疑問が浮かぶ余地はなく素直に没頭できます。そしてそれが現実から離れて詩的になればなるほど、ぼくたちはより純粋に物語を楽しめるのです。だから最近アニメ映画が人気なのではないでしょうか。なんといっても絵ですから。そういうことがやりやすい。そんなことを新海監督が思ったのかは知りません。

 

全編詩的なのはぼくたちも胃がもたれるので地に足をつけた描写もしっかりあります。むしろアニメはそういうことが苦手なので、どれだけ違和感がないかに注目です。

ベタな展開もきっちり抑え、ちくしょうと思いながらもニヤニヤしてしまいます。もし女の子と入れ替わったら……そりゃおっぱいは揉むよ。揉んじゃうよ。うん。何回も。2人の主人公に嫌味がないのも王道です。

万人が楽しめる映画ではないだろうか。詩的にエンタメ。な、何を言ってるのかわからねーと思うが、いままで書いたことによるとそうらしいぞ……。

でもなんか映画を見た!って感じではないんだよなぁ。なんなんだろうなぁ。面白いんだけどなぁ。