狐が風鈴を鳴らす

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『素晴らしいアメリカ野球』は宇宙一

原題がThe Great American Novel。直訳すると「偉大なアメリカの小説」だろう。そこを『素晴らしいアメリカ野球』と訳した人はすごい。

なにもかもが異常だから異常が異常だと思えないという小説。「偉大なアメリカ小説」という原題からはかけ離れてた無軌道さと放埓さと過剰さ。野球をする無法者たち、まず現実にはあり得ない、いてはならないメジャーリーガーたちが面白いのでそんな一般的な道理道徳規範を無視した無理は気にならなくなる。「面白ければよし」そんな精神満ち溢れた小説であり、のっけの題名から皮肉が効いてる小説だった。“がんばれベアーズ”の数十倍いやらしく汚らしくて政治色が強く聞くに堪えない暴言が飛び交う小説。

しかし、わたくし野球経験者なのだがこんな野球も楽しいかもしれないと思ってしまう。

この小説のプロローグは文庫版で100ページ近くある。そんなプロローグありなのだろうか。ありなのだ。!に、が機関銃のように連発されるプロローグは騒々しく過剰に繰り返す文言には辟易する。が、慣れてしまえば後は急転直下。ページをめくる手が止まらなくなるという可笑しさ。メタルを聞く人はこんな感じなのかな、とふと思う。

The Great American Novelは何だ?そんな話題が出てくるプロローグ。それをかけるのは誰?そんなものあるの?その答えは、「スミティであり彼が書いたものこそThe Great American Novelである」という提言の元に本編が始まる。

『緋文字』に『ハックルベリ・フィンの冒険』に『白鯨』がThe Great American Novelの”なりそこない”の例として挙げられている。すごい!めちゃめちゃけなしてるよ!わたくしがすべて未読ながらも題名は知っているこの小説群に対する話者の態度は「こんなもの尻を拭くちり紙かジョークのタネしかならない」といった体である。素敵!おっと間違えた。不敵!

続けて怒涛の野球バカたちが登場する本編に。

ただ紹介しているだけなのに面白い。何かが起きるわけでもないし、ただの選手紹介なはずなのだが可笑しい。可笑しい奴らがその可笑しさゆえに可笑しいことをする、ただそれだけの話なのになぜこんなに面白いのか。

可笑しい奴らを登場させた後の作者の態度が投げやり過ぎてまた驚く。何がどうなろうと知ったことではない、無理やり終わらせたことがありありとわかる結末に口が塞がらない、苦笑いしか出てこない。清々しいまでの適当さ。「途中まで面白かったろ?なら文句言うな」とでも言いたげ。ぼくは中盤の3〜4部が面白さのピークだった。『小さくても丈夫』まで。

しかし、常人なら途中で筆を置くほどの小説  醒める、冷める、覚めるという三つのSを乗り越え  を最後まで、「何はともあれ」書き切ったフィリップ・ロスはすごい。帯のアオリが『米文学史上最凶の悪ふざけ!』。ぼくは頷くことしかできない。

 

偉大なアメリカ小説、ってなんだろう?と考えると色々と条件が浮かんでくる。

アメリカらしさに満ちた小説であること、が第一条件になるだろう。そのアメリカらしさとは?何をさしてアメリカらしさと言うのか言えるのか?

かっこいい言葉を使えば、”自主独立の精神に満ちた小説”だとか”何者にも屈しない小説”だとか”雄大さと素朴さを外連味なくまっすぐ描いた小説”だとかがパッと頭の中に浮かぶ(アメリカ人でもないのにね!)。

それを痛快に笑い飛ばしバカにし唾を吐いた小説がこれなのではないだろうか。

個人的に偉大なアメリカ小説と言われて思い受かべるのは  うーん『怒りの葡萄』とか『アンクルトムの小屋』になるのかな。怒りの葡萄はさわりだけ、アンクルトムの小屋は全く読んだことがないのだけれど。フォークナーはなんか違う気がするし、ピンチョンは偉大というより意外で、アーヴィングは好きだけど小市民的というか、もの足りない気がする。『風と共に去りぬ』はどうだ?

と、いう終わりの見えない議論をすることにくだらないと、言いのけたのがこの小説なのではないだろうか。そんなもの決める必要ないし、そんなものは存在しないと。

その態度も悪ふざけなのだろうか。

 

偉大な日本の小説って何になるのかな?

平家物語』?『竜馬がゆく』とか?『吾輩は猫である』?うむ、なんとなく『大菩薩峠』を推しておこう(これも読んだことない)。

 

 

素晴らしいアメリカ野球 (新潮文庫)

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