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7/22『第三帝国』発売記念翻訳者トークイベントにて

ボラーニョの新本の来週発売に先駆け、先行販売と翻訳者のトークイベントが新宿紀伊国屋南店にて開催された。この『第三帝国』は死後発見された遺稿から出版された本で、白水社で刊行中のボラーニョコレクションの中では一番長い本である(野生の探偵たち、2666はボラーニョコレクションではない)。

 

翻訳者は柳原孝敦さん。5月にセルバンテス東京で行われていたボラーニョ関連のイベントにも出席していた。トーク相手に都甲幸治さんを迎えての対談形式のイベントだった。

少々遅刻しての到着。途中からしか話を聞けなかった。どうして遅刻してしまったのだろうか。新宿紀伊国屋本店しか行ったことなかったので迷った。なんでも新宿南店は来月から規模が縮小されるらしい。ぼくが到着した時には鏡の話をしていた。鏡は……なんかのモチーフとして使われているという話。

この対談の中で1番なるほどー、と思ったのはボラーニョは青春小説みたいな言い回しを良くすると。あるかもしれない。どうしても一種の虚構の中の虚構、つかみどころのない構成に目が行きがち。書かれている内容の詳細さ、どこからどこまでか本当かわからない記述に翻弄されがち。

でももって回った言いまわしの仕方そう言われればしている。今ボラーニョの他の著作である『2666』を読んでいるところなのだがその中にも照れ臭くなるようなやり取りが確かにあった。

「あなたがわたしを愛していることに気づくのにどうしてこんなに時間がかかったのかしら?」とわたしはあとになってから言いました。「わたしがあなたを愛していることに気づくのにどうしてこんなに時間がかかったのかしら?」

メロドラマの中で出てきたら歯の浮くような台詞だと思うだろう。今回聞くまで意識していなかった。

他にもボラーニョという作家の特異さ。現代の作家でありながら死後の発見される遺稿の膨大さ、死後出版される本の多さ。先ほど著作にはどこからどこまで本当かわからない記述が多い、というようなことを書いたが、すごく細かいところに本当のことが書いてあったりする、と。それこそ専門家でなければ知り得ないぐらいの深度の知識を書いていたり。

初めて読んだボラーニョが『アメリカ大陸のナチ文学』だったせいか、ボラーニョの記述は彼の想像の賜物と思って読んでいたぼくにとっては驚きがあった。

他にも小話。

ボラーニョコレクションの帯に使われている写真は原著の表紙に使われているものだそう。イベント終了後に原著を見たが、雰囲気抜群でした。また柳原さんにサインもしていただきました。この内容をどうやって訳しているのだろうと、ボラーニョを訳す方には尊敬の念を抱くばかり。

そしてイベントには翻訳者の野谷文昭さんもいらしていて、ボラーニョの小説の視点のうつろいやすさ、語り手の代わりやすさ、とっている態度の違いについて訳す時どうだった?と柳原さんに聞いていました。

いや、行ってよかった。ボラーニョを読む気がムンムン出てきた。この『第三帝国』もすごく面白そうだ。ファシストが勝ってしまうような小説であると、勧善懲悪の話に慣れている我々にとっては新鮮な驚きがある小説であるそうだ。

ボラーニョはファシストと戦って負けながらも、それでもまた戦いを挑んでいる作家ではないか、と都甲さんは言っていた。

『2666』を読み終わったらすぐにでも読みたいが、他にもなかなかに積んでしまっている本があるんだよな。くう、何から読もう。

 

第三帝国 (ボラーニョ・コレクション)

第三帝国 (ボラーニョ・コレクション)