狐が風鈴を鳴らす

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『伯爵夫人』erectio

声に出して読みたい日本語。次々と繰り出される淫語は小気味よく笑いを誘う。伯爵夫人とは何者なのか。活動写真(映画)を揶揄しつつ小説の構造自体もその揶揄されている通りなのではないだろうか。

 

あらすじ

おっぱいいっぱいおまんこいっぱい

 

こんな笑劇だと思っていなかったので電車の中で笑いをこらえるのに必死。言葉の選び方に悪意を感じる。未成年で学生の「私」と一緒に暮らしている伯爵夫人とのpillow talkと実践。周囲にいる女性について一家言。

むしろ、「青臭え魔羅」を「熟れたまんこに滑り込ませようとする気概」をみなぎらせてこれ見よがしに射精したのであれば、「熟れたまんこ」の持ち主には礼を失した振る舞いとは映らなかったかもしれない。

笑うしかないでしょう。青臭え魔羅と熟れたまんこ。あけすけに恥じらうこともなく開陳される知識と経験加えて愛撫は未成年ながら彼の祖父と瓜二つの素晴らしい逸物を持っている「私」を揺り動かし射精させる。

女と戦争は繋がっているという話になり、性を活かして戦う女の姿を描き(伯爵夫人の実体験という体)、開戦の日を迎える。男だけが戦争しているのではない、と伯爵夫人は言う。

下の話に始まり終始その話ばかりしている印象を受けるが、蓮實重彦がこの伯爵夫人を書くきっかけになったかもしれないというジャズ評論家の12月8日の小話を思うと、下の話は12月8日を書くための装飾だったのかもしれないと思う。

青臭え魔羅や熟れたまんこ、一尺三寸や割礼された逸物。従姉妹の未成熟な薄い胸。ただ翻弄されるだけの「私」。

短い時間で書き上げたらこのような出来になるのかな。

ルイーズ・ブルックス似の女がその鬘を外した禿頭で  こう見えても、この私、魔羅切りのお仙と呼ばれ、多少は名のしられた女でござんす。と剃刀を持っている姿はおかしくてしょうがない。数秒後には返り討ちにあっているのなら尚更である。

時代がかった言い方と嘘くさい物語。そこに魅力を感じるか、それとも愛想をつかすかは人次第。ぼくは好きです。

小説(に限らず)はほぼ嘘で作られていて、その嘘を『嘘だと感じさせない思わせない』か『嘘だとわからせた上でその嘘を楽しませるか』のどちらかだと思っている。この小説は明らかに後者で(著者には楽しませるつもりは皆無でしょうが)嘘を嘘でもいいと思わせる力は見事。大仰な語り口と止まることを許さないpillow talkのなせる技か。

伯爵夫人と彼女に限らず、他にも女性が登場し彼女たちも嘘くさい胡散くさい。どれだけ魔羅魔羅言えば気がすむのか、逸物を触るのか、愛撫するのか。登場する女性の中で誰が一番好きか?という俗な楽しみかたもできるほど。ぼくは  コメントを控えさせていただきます。

「私」がどうしても印象薄くなってしまうが、彼の性に対する理念は天晴れで、世界の均衡を崩すまいとしてあなたに手を出さないのです、と伯爵夫人に言う。一聴、意味がわからない気もするが、その均衡が崩れた時戦争が起きたのだろうか。

本の表紙もルイーズ・ブルックス(だよね?)。伯爵夫人は何処に行った、と思うが彼女は「私」の元からも去るので従姉妹の成長した姿かもと思われるルイーズ・ブルックスが表紙なのはぴったりか。

第29回三島由紀夫賞受賞作で授賞式での著者の振る舞いがいろいろ物言いを呼んでいるようですが、ぼくとしては「面白い糞爺だな」と思います。嫌いではありません。

著者に対して糞爺と言うのは度を越した失礼だと思いますが、他にうまく言葉を選べないので頭を下げて「どうか堪忍してやっておくんなせえ」

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伯爵夫人

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