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狐が風鈴を鳴らす

本 映画 音楽 その他諸々の雑感を書き連ねるブログ

『美濃牛』(みのぎゅう)

どこかに置いていないかと探し続けて数年。もちろん古本屋にも行く。しかしどうしてもない。先日ついに取り寄せしようと思い問い合わせる、絶版とのこと。再版してると思ったが……意外です。

もう面倒になったのでネットの力を借りて手に入れた。

 

著者(殊能将之)の言葉

たくさん引用が出てきますが、全部ちゃんと読んでいるなんて思わないでください。著者はとても不勉強な人間です。

この本の印税が入ったら、飛騨牛料理を食べに行こうと思っています。 

殊能将之といえば『ハサミ男』で知られている作家でしょう。講談社文庫『ハサミ男』のそでに書かれている著述リスト5作中3作が絶版ながらも未だに『ハサミ男』は再版され続けている様子(今では子供の王様も著述リストに追加されているはず)。

再版される本がある一方絶版されている本もある。2013年に著者は亡くなっているが、その後新しくホームページをまとめた本、未発表短編集の出版があった。奇特。殊能将之は偏っている。

著者の言葉にわかるように、この『美濃牛』は引用、そして趣味人好事家から語られる来歴または由来の量がおびただしい。名探偵石動戯作が作中でスノビズムを皮肉るが、あくまで好事家が語るスタンスなので疎ましくはならない。ぼくは楽しく読めた。嬉々として皆語っているからでしょう。いくら知的でも石動戯作はその名の通り基本的にふざけているので、真面目に受け取らないということもあります。

E=mc2 秋の暮れ

アクィナスを嫁に読ませちゃいけません

by春泥

ユーモアがある俳句。悪ふざけとも言う。春泥は石動が使っている雅号。作中で石動が作った俳句。

巻末には何をどう参考にしたのかわからない参考文献一覧が載っているが……全部ちゃんと読んでいるとしたらあまりにとんでもないことになる。著者の言葉を信用するべきかしないべきか。

 

あらすじ

岐阜県の暮枝に奇跡の泉の噂が立った。石動戯作はその噂に目をつけた不動産会社の先輩の命令(依頼された仕事=地上げ)のため、自分の足で訪れる。フリーのライター天瀬、カメラマン町田も一緒だ。

地方の有力者羅堂家の私有地内の鍾乳洞の中にその泉があるため、その一家と交渉を続けてていると殺人事件が発生する。首を切られ泉があると噂される鍾乳洞の前で吊るされた死体。するとその事件を皮切りに羅堂家の面々が次々と殺されてゆく……。

不思議な推理小説。初めて人が死ぬまでにやたら紙幅を費やす。ノベルスサイズで140ページあたりまで誰も死なない。またわらべ唄の通りに殺人が行われるが、そのわらべ唄に言及されるのがすでに半分も読み進んだところ。

何より名探偵石動戯作が全くといっていいほど推理をしないこと。これは探偵としての役割=真相追及をしないということではなく、考えたり悩んだりすることがあまりに少ないということだ。いつもふざけているせいあるのか、何時の間にか答えを出しているような印象を受ける。

飄々とこちらを煙に巻いている間に一人悠々と真相にたどりつく……他の登場作も読めばそうでもないが、この『美濃牛』だけで判断するとそう思う。しかし他は特徴的すぎる作品ばかりだからな……

そしてもう一点。先に挙げた点と共通するところもある。それは事件そのものが主役ではないところ。舞台は岐阜県暮枝という架空の村だが、この舞台が主役。魅力的なこの村に住む登場人物たち、そしてわらべ唄に始まる不思議な雰囲気を生み出しているのはこの暮枝に他ならない。不合理なことを不合理なまま置いておけるのもこの暮枝のおかげだ。

ウィリアム・アイリッシュの『夜は千の目を持つ』に雰囲気が近いような近くないような。似てるような似てないような。似てないか。

 

この小説はそれ自体が推理小説への著者の意見具申だ。よく名前が出てくるのは横溝正史だがそれ以外の作家への所感も含まれている。なにより一番強く感じたのが著者の「推理小説の文脈なんて気にしない」というような態度。より詳細にいうならば「推理小説を研究してきたけど、先人たちと同じようなものを書いてもしょうがないから、わざと文脈を崩していこう」

石動は何かと「大学時代はコール・ポーター研究会通称ポタ研に所属していた」と言う。そのコール・ポーターの曲に”it's delovely”というのがある。この替え歌”it's deconstruction”を過去に作って歌ったというエピソードが披露され自ら進んで石動は歌うのだがこの歌詞が探偵小説も揶揄しているようにしか聞こえない。著者が自作していた歌詞をこれぞとばかり小説に載せたんじゃないかな。

deconstructionは脱構築という意味。何から脱構築するのかな?

原曲を聴いて、替え歌を頭の中で反芻すると石動の性質(タチ)の悪さに笑うしかない。

 

この『美濃牛』だけじゃなくて他の作品も読んだ上で思ったことだけど……絶版になる理由もわからなくもない。『美濃牛』においては長さがネックなのだろう。文庫化したら700ページ超。それでも、部数少なくてもいいから再販すればいいのに。

長さは全く気にならず、スラッスラ読めた。

不思議な推理小説といっても正統派を意識した上での不思議さ。だから自然に読めると思う。これが次作になるととんでもないことに……。

電子書籍で買う気にはあまりならないんだよなぁ。