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狐が風鈴を鳴らす

本 映画 音楽 その他諸々の雑感を書き連ねるブログ

re:『UNDERGROUND』

以前にもこの映画のことには触れたがその時は見終わった後の気持ちに任せるがまま書いたので感想と言えるほどのものではかった。今週末に文芸座でエミール・クストリッツァ監督作品の上映がある。これは時機を得た。改めて振り返り今週末に臨もうぞ。

 

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・ストーリーについて

と言ってもどこから触れたものかと思案してしまう。そこでこの映画を端的に幾つか言い表してみよう。

 

一人の女を二人の男が取り合う話。

戦争でコメディーの話。

大衆映画の手法を芸術映画の品格を組み合わせた話。

一般向けでない話。

祖国に想いを馳せる話。

監督の抱えこむある種の感情と悲劇が反映された話。

 

あたかも自分で考えたかのように書いているが監督インタビューからも抜粋しました。一つ一つを見ればわかるような気もするが、これ全部同じ映画のことを指してると言ったらちょっと複雑かもしれない。

監督インタビューで言っていた。「万人向けの映画ではない」と。僕もそう思う。だけどいい映画なんだ。これは。

ここでまた監督インタビューから抜粋。

Qこの映画の着想のもとになった戯曲、原作の要素はどのくらい映画に使われているのか?

A実際にはほとんど使われていない。恋する男が、恋敵に戦争が続いていると思い込ませる策略によって、20年地下貯蔵庫に監禁するというアイディアだけだ。

そしてあらすじ

1941年、ナチス・ドイツ占領下のベオグラードを逃れ、敵の目を欺く為、パルチザン(?)として活躍する男のいい加減なアイディアのもと広大な地下空間(アンダーグラウンド)に避難し、戦後も人知れず半世紀の間生活していた人々のエキサイティングな一大群像劇。

大綱はつかめただろうか。こういう映画である。

 

・戦争コメディー

なんて不謹慎な、と日本では言われそうな括り。戦争なんてものを喜劇の対象にするなんて思慮が足りない、とか。そんなこと気にせずに見ましょう。

この映画、戦争を喜劇的に描いているが、それは戦争という状況のなか生きてゆく人間が笑劇的なのであって戦争そのもの自体を笑えるものとして扱っているわけではない。必要以上に悲劇的にすることを望まなかったのだろう。今の時代戦争=陰惨破局悲劇悪徳、という図式が出来上がっている。その通りなのだが、戦争している時にどれだけそのことが考えられていたか、という点について戦争当時から見ると後世に当たる現代では認識不足な気がする。「実際自分がその渦中にいたらどうなのだろう」と思わなくもない。

この映画、戦争という状況のなか強かに生きてゆく人間がいる。その姿はズルくて自分のことばかり考えている賢しいサルみたい。でもありうる。どんな状況でも人は生きてゆく、と思わされる。笑って酒飲んで喜んで踊って怒って殴る。当たり前のことはいつでも起こる、と。

 

・自然とエナジー

「芸術作品にとって最大の敵は自然だ」これも監督言ってました。三万平方メートルに及ぶセットを作り上げてこの映画は取られた。自然さを避けること、自然に見えることが大事だと。

本物の建材はまったく使われておらず(費用のこともあるし)全て技術でそう見せている。どれだけの技が駆使されているのだろうか。写っている場面に関して違和感を感じることはなかった。その舞台美術に圧倒される。

「どんなに強烈な印象も映像にすれば薄れる」そう語る監督は舞台に力を入れ、道具に力を入れ、衣装に力を入れた。言葉が足りないが、すごいとしか出てこない。コメディー的な装飾もあって、場面ごとにきちんと使い分けている。

この映画で僕が一番好きな舞台は船だ。序盤に出てくる船、(一方的な)結婚パーティーの場。狭いデッキに楽団並べ、酒盛りし、そんなところにナチスが襲ってきて船内に立て籠もる。ここで二人の男と一人の女のドラマが繰り広げられる。服装のちぐはぐさ、船のありあわせの結婚祝賀装飾。いい。

画面から溢れ出るエナジーについて。美術もさることながらこれは音楽の功績が大きいと思う。粗雑でがさつで煩くて荒々しい音楽だが、それが味わい深い。映画を見終わった後すぐにサントラを購入したぐらいだ。これは民族音楽、なのだろう。戦争中に宴の場でかき鳴らす音楽には力があった。音楽のなかに文化が聞こえる。

 

・祖国の有無

ぼくはユーゴスラヴィアについて詳しくない。しかし自分が生まれた国が今はなく、違う名前になり、かつての国土もバラバラになっていたらどういう気持ちになるのか。直接的に描いていないが、この映画のバックホーンにはそれがある。この映画実はスロベニアクロアチアでは上映禁止らしい。どちらの国も旧ユーゴスラヴィア領である。『コントロールされることへの反抗』を描いた作品だからだろうか。

 

・ラストシーン

淀川長治さんの言葉を借ります。

祖国、旧ユーゴの苦痛から解放されてゆくこの映画のラスト・シーンの素晴らしさには涙で画面がくもってしまう。

ラストシーンの素晴らしさは僕も感じた。もはや僕が言うまでもないがそのくらいすごいということ。当たり前だがそこだけ見ても感動はしない。あくまで映画の中のワンシーンだから映画を見ていないとその感動は薄れる。3時間弱の映画でそこに至るまで少々長いがその価値はある。これだけ印象に残って、感動するラストシーンの映画はそうそうない。映画の最後っていうのはこうあるべきなんだ、と思ってしまうほど。しかしBlu-rayの背面になぜ本編時間が”約150分”と書かれているのかわからない。初めて見た時は2時間半たっても終わらず「いつ終わるんだ?」。映画に没入しきれずちょっと残念だった。

最後のシーンに出てくる島はユーゴスラヴィアを形取ったもの。暗喩。こういう渋い仕事をする監督大好き。「許そう、しかし忘れないぞ」というセリフがラストシーンにあり、これがコーヒーに入れたミルクのように、最初は意表を突かれ馴染まないが、コーヒーとミルクが混ざり合ってカフェオレになるように、すぐ得心し、そのセリフが背負うものを思うとまさにこのセリフの為にこの映画があったのではないか、と思うほどの融和。でもこのセリフも引用。やってくれるなぁ。この監督の他作品『パパは、出張中!』からだそうだ。自分の映画で遊んでる。

 

エミール・クストリッツァ監督について

Blu-ray二枚組の二枚目。約一時間にわたる監督インタビューが収録されている。刺激的な話も多く、このインタビューを踏まえて映画を再見すると見えてなかったものが見えてきそうだ。思想的な話やメディアについて映画産業についての話が多く、映画を作る際の姿勢が窺い知れる。映画に関連して印象に残った発言を幾つか(適宜表現変わっているところあり)。

「芸術映画で垢抜けていない監督の作品が評価されたことは嬉しい」カンヌで賞を取った時に言ったこと。「映画を撮り終えた後、楽しかったというスタッフが居るがそれは嘘だ。映画を作り上げるには犠性を払わなければならない」楽しいだけでは映画は作れないってこと。一つの作品を作るためには多大なエネルギーが必要で自分で自分を発奮しないといけない……。「過度に独創的でありたいと思わない。わたしを構成する全てをわたしは表現したい」影響を受けた作品について、引用することについて。「映画には二種類ある。大きな興業収入をだして見た後に忘れ去られる映画とそうでない映画だ。この映画は後者であると自負している」芸術映画についてのこだわりと、ハリウッド映画に対する嫌悪感が滲みでている。

まだまだあります。とても興味深く面白いインタビューでした。政治について、メディアについてと他にもまだまだ語っています。

映画についてこだわりがある。好きな監督にルノワール、ルビッチ、フェリーニタルコフスキー等々を挙げる。本当に映画好きなんですね……。

 

よし、これで今週末に臨めるぜ。

 

 

アンダーグラウンド Blu-ray

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