狐が風鈴を鳴らす

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『ロリータ』コンプレックス

スタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』は原作者ナボコフが脚本を書いたもののその2割程度しか使っておらずナボコフも不満を漏らしていたという(書いた脚本がそのままだったら7時間にも及ぶってなったら仕方ない気もする)。十分いい映画だと思った私(5、6年前に見たきりだが)は本も読もうと買ったはいいものの第一部だけ読んで放置していた。なんであの時放置したのかわからないほどに面白く、ぜひ原書で読みたい(できるできないはおいといて)。

 

あらすじ

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。……」ハンバートは少女への倒錯した恋を抱くもひた隠しにして暮らしていた。しかしそんな彼の前に命取りの悪魔が現れる。彼の魂の真空を美しさあどけなさ情欲狂気で満たす悪魔。ロ・リー・タ……

 

ナボコフについて

『ロリータ』を書くまでは他にも職を持っていた。この『ロリータ』の成功を機に作家に専念する。といっても出版にあたってアメリカの出版社は当初出版を拒否し、最初に本として世に出たのはヨーロッパのフランスでのことだった。

ロシアで生まれ革命を機に亡命。1899年に生まれ1919年に亡命とあるから19、20歳で祖国から離れたことに。ヨーロッパを転々し、そしてアメリカで書いたこの『ロリータ』は英語で書かれた。自分の母語でない言語で小説が書けるなんて凄すぎる……。

多弁で自分の考えを表すのにためらいはないようだ。そうでもなきゃ小説家になんてなれない?『ロリータと題する書物について』という著者自ら小説について語るあとがきでは「私は霊感と組合わせの相互作用で作品を書く」と言う。意図なんてものはあるようでなく、とりあえず書き始めたら書き終える意図しかないと。著作が評価されることにあまり関心がないのだろうか?自分が書き上げた作品自体に対しては作品そのものが自身の慰めになる存在である。「ロリータは私にとって喜びに満ちた存在である」とナボコフは言う(書き上げてから一度も読んでいないと言っているが)。

自分の意図通りに読んでくれれば嬉しいが、読んでくれなくとも気にかけない。

こんなことを言う人ってたいがい寂しがり屋な気がする。

 

ロリコン

少女に性的欲求を持つこと(私の認識ではそう)を今では”ロリータコンプレックス”略してロリコンという。その語源となった本書だが、今の言葉の意味からは離れた内容だった。確かに少女に情欲を抱くこと、が作品の中で大きく扱われている。でもそれは性の対象としてだけではなくニンフェット、とハンバートが少女のことを呼んでいるように、妖精のような触れるようで触れない、決して届かないもに対する羨望と憧憬そして禁忌が書かれている。そしてそれを犯した自分に対する後悔。そして後悔をしつつ感じている倒錯した喜び。

ハンバートのロリータに対する愛情も徐々に性質が変わってゆく。10歳から14歳の間がニンフェットとして顕現できる年齢であると本人が言うように、成長したもはや少女でない彼女には自分が愛した少女の名残しか見つけることができない。かつて愛したという理由で愛し続け、彼女のために殺人まで犯すのだが、ロリータと出会った時と比べるとそこに熱はない。火が燃え尽きる寸前、最後に一瞬大きく燃え上がるようなもの。

彼の恋の対象のロリータは彼に人生を狂わされた。本人がそのことを重く受け止めていないことが哀しい。みすぼらしく、腹を膨らませ、お金をたかるロリータ。ああ、無垢で残酷だったニンフェットはどこに行ったのだろう!

ハンバートは中年男、しかし自分を美男子だと思っている。事実そのようだ。そのくせに少女大好き!となったらそりゃ世間の目は冷たい。彼が少女を愛するようになったのは幼少期のある出来事が遠因と述べる。その際に引用されるのがポーの『アナベル・リー』だ。少女の象徴としてこの詩が用いられる。

 

・筋の面白さ

ただ単に少女に恋する男の話だったらこんなに世界で話題にはならなかっただろう。あらすじでは書かなかったが起承転結は意外なほどしっかりしていて、ドラマがある。

ハンバートはロリータと出会い、ロリータと離れ、ロリータと再会し、ロリータのために人を殺す。いってしまえばこれだけの小説であり、これだけの小説だ。序の時点でハンバートが犯罪に走り、死んでいることが明かされる。なぜそうなったのか、何がそうさせたのか、を解き明かしていくミステリでもあるのだ。

知るために私たちはこの『ロリータ、あるいは妻に先立たれた白人男性の告白録』を読む。その内容は衝撃的で嫌悪してしまう。出版拒否されたことからも当時1955年当時ではこの内容はあまりに赤裸々で露悪的。しかし魅せられてしまう。

 

・インテリ 

ハンバートの告白録が、このロリータだ。それにしたってなんて奥深い。『アナベル・リー』に始まる様々な作品からの引用、オマージュがおびただしい。そして辻褄の合わない記述。解き明かすのが楽しい(おい、お前解き明かしてないだろ。脚注読んでその気になってるんじゃねえ)。その結果、ある説ではこの告白録の最後はハンバートが作り上げた虚構の出来事だと言うものまであるらしい。面白い。面白いぞ。何度読んでも新しい発見がありそうだ。ここまで素晴らしい本だと思っていなかった。

その書き方一つとっても目を何度もみはる。仰々しくて絢爛な比喩や修飾はハンバートの心情を伝えてくれる。映画的であり小説的だと思う。

そしてそれから、後悔、涙を流して償う苦い甘さ、卑屈な愛、そして希望のない官能的和解。ビロードのような夜に、ミラーナ・モーテルで(ミラーナ!)、爪先が長い足の黄ばんだ裏に口づけて、私は自分を生贄としてさしだした。しかしすべてはむだなことだった。私たちは二人とも運命づけられていたのだ。そして私は、まもなく新たなる受難の周期に入ることになる。

これはハンバートがロリータを初めて殴ったシーンの後に挟まれる文章。この調子が基本的に続く。気障ったらしいしまどろっこしいがそれがいい。

それにこの小説の書き出し(ハンバートの告白録の)はすごいぞ。

ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

強烈で鮮烈で衝撃的で異常。狂ってるんじゃないのか、と疑念を抱かせるほど。

 

映画版の『ロリータ』(2作あるがやっぱキューブリック版)ももう一度見よう。この映画版はロリータが小説より少し大人っぽくなっていて、映画ということもあり小説ではあった性愛描写もなく、またこれこそ映画ならではのモノローグから始まり過去回想に入るその冒頭の流れと最後に訪れるカタルシスまでの持って行き方がすごい。

さて、M(マゾヒズム)とL(ロリータコンプレックス)は読み終わったから次はS(サディズム)いってみよう。

 

 

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