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『1984年』は何時?

未来世紀ブラジル』を思い出した。それもそのはずでこの映画は1984年版『1984年』だとギリアム監督は言っていたそうだ。この出典はWikipediaだが信用していいだろう。それほどまでに根底にあるテーマ、扱い方はちよっと違うけど…は似通っていて全体は個に優先する全体主義に警鐘を鳴らす映画である。

1984年が出版されたのは1949年、書かれたのが1948年らしい。第二次世界大戦が終結して間もなくである。大きな災禍すぐ後にこんな衝撃的な本を書いたオーウェルはどれだけ先見の明があったのだろう。みな人心地つきたいその時代にどれだけのことを考えていたのだろうと感嘆の念を抱く。

個人個人の尺度ではみな復興への道程を歩み始めたその時だが、国規模ではすでに次の戦争への布石は打たれていてそれがのちに冷戦という形になって現れたのだろうと思う。スターリンソビエト連邦、台頭するアメリカ。ナショナリズムの動き。

政治的には極左翼だったらしい。いまでは左翼というとすぐ悪いイメージが先行してしまい、事実わたしもここに左翼という言葉を書くことにすら抵抗がある現代っ子。作者の人となりを知るためには必要なことであるが。

しかしこのような背景を知ればこの作品をより深く味わうことができる。

 

あらすじ

〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は以前より、完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが……

 

オーウェルが亡くなったのが1950年。この本がでて間もなくである。オーウェルの最後の叫びだったのかなぁ。

全体主義とはone for allの精神の異常なまでに推し進めた形。個人の行動はあらゆる範囲で制限され、監視され、取り締まられる。ビッグ・ブラザーはあなたを見ている。スミスは思考まで、考えることまでは支配できない!と人であることを最後まで捨てない。「君は最後の人間だ」と事実党の幹部に言われさえする。

1984年に随所に登場するのは《二重思考》。これは信じながら信じないという、不可能だと思うようなことをやってのける党の重要な策である。自由とは2+2が4だと言えることである。そして2+2は5にならない。そんなの当たり前だろ、いや《二重思考》にかかれば2+2は5になるのだ。党の手によればそんなことを事実として信じるのだ。そんなに恐ろしいことができてしまう。

党の3大綱領というものがあり  

戦争は平和なり

自由は隷従なり

無知は力なり

がそうである。

 

恐ろしすぎる。

 

スミスが愛するジュリアは、確かに党のことなど気にしない奔放な女だがそれは自分に関係のある範囲のことでしか物事をとらえず、わたしよければすべてよし、というスミスとは少し違う反逆の形。彼女が契機となり、ただ愛し合いたいだけなんだ。こんなことがなぜ許されないのか?

 

本編もさることながら驚いたのが付録であり、言語は思考を規定するという考えのもと党が進める語句の編纂作業”ニュースピーク”と呼ばれる言語についての諸原理だ。言語まで支配したら思考を支配することはより容易になる、と。この付録を削除して本にしたいという申し出にオーウェルは反発し、それだったら本にしてくれないでいい、と言った。

よくここまで……。

加えて驚いたのが解説がトマス・ピンチョンだったこと。本当ですか?

 

現代の必読書ということができるだろう。

フィクションでよかった。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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