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BANANA FISH 

バナナフィッシュは死を呼ぶ魚として名を知られている。サリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』という短編に登場しており、バナナ穴に入ってバナナを食べ、そして死ぬしかない魚。

そんなバナナフィッシュが題名なこの少女漫画。吉田秋生といえば近年では『海街diary』が有名で実写映画化までされている。

実は原典より先にこの漫画を読んだ。そして漫画を読み終えてからサリンジャーを読んだ。バナナフィッシュねぇ。死を呼ぶ魚、か。

 

あらすじ

1973年ベトナム。米軍兵士グリフは突如錯乱し同僚を射殺。「バナ…ナフィ…ッシュ……」そうグリフは呟き廃人となった。

1985年ニューヨーク暗黒街。非情と暴力が蔓延するこの街でストリート・キッズを束ねる少年がいた。アッシュ・リンクス。眉目秀麗、IQ200かつ一級の戦闘センス。齢まだ17歳。しかし彼には幼い頃、性玩具として弄ばれた過去があった。

そんなアッシュと日本からきたいたって平凡な少年、奥村英二が出会う。

バナナフィッシュをめぐるマフィアの抗争に巻き込まれるアッシュと英二。

バナナフィッシュとは一体なんなのか?

ニューヨークを舞台に静かに闇が動きだす……

 

 

バナナフィッシュは麻薬の名前。

この麻薬にかかればいうことを思うがままに聞かせることができ、それはどんな人物も逃れることはできない。それを兵器として使おうとするマフィア始め合衆国政府の謀に巻き込まれていくのがアッシュであり英二。

少女漫画らしからぬあらすじ。でも読めばやっぱりこれは少女漫画。軸がはっきりとアッシュと英二の関係性に絞られている。ホモホモしい、とは思わない。それは二人が性なんてもの関係なしにお互いを必要としているからであり、肉体ではなく心で結びついているからだ。

題名に惹かれ読んだ身としてはバナナフィッシュの扱いが思ったより小さいというか、徐々に舞台裏に下がっていく様を見ると少し残念。あくまでバナナフィッシュは二人を騒乱に巻き込む小道具だったのだろう。しかしその名前に恥じぬ役割も果たし、それがアッシュと英二、二人の結びつきに大きく影響してくる。

ハードボイルドな少女漫画、矛盾しているようだがそう言うのが一番適切か。面白かった。何より素晴らしいのが登場人物みんながみんな綺麗でないこと。ハゲ親父にデブ、チビにキツネ目。少女漫画らしい大きな目にそこにあるはずだがない鼻、このニューヨークを主な舞台とする物語にはそういった少女漫画的装飾、象徴は相応しくない。邪魔にしかならない。

顔の半分を占める大きな目に、背景には何かと花模様、キラキラと舞う雰囲気を醸し出す霧のようなトーンが雑然としたアメリカ、ニューヨークの暗黒街に漂っていたら腹を抱えて「ハハハッ、ヒィッ!ヒイッ!ヒッ、ヒヒヒ」と引き笑い。なんか見たい気もしてきたけど。

アッシュがあまりに超人的すぎるから醒めるところもなくはない。それはアッシュのせいというより、ますますエスカレートしてゆく抗争に、あまりに激化する戦いに疑問を感じてしまうから。

超人的なアッシュは鋭く、壊れやすい。背負っている過去のこともあるし、この抗争の最中で新たな罪を次々と犯していく。そこで重要になるのが英二という何もできない存在。何もできないからこそアッシュは英二といることが安らぎになり、超人アッシュから解放されて等身大のティーンエイジャー、アッシュになれるから。

ここがすごい上手だと思う。英二は所謂“ヒロイン役”、何もできないお姫様。もしこれが男と女という組み合わせだったらより書くのが難しかったろうなー。英二は男で、日本で育ち、硝煙と血からは無縁の生活を送ってきた。本当に何もできない少年だ。一歩間違えれば英二は読者にとってウザい木偶の坊=反感の対象になり、アッシュがかわいそう!になってしまう。僕が読んだ時、そんなことに一度もならなかった。

英二自身も何もできないのが嫌だ、と公言はし主体的に行動を起こしもするけれどあくまで“プリンセス”である。そこから一度も逸脱することなく姫役を全うした、させた手腕に感服。しまいにはこの二人が愛おしくなってしまう。

 

「この世に少なくともただ一人だけは…なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ。こんな幸せな気分は生まれて初めてだ…もうこれ以上はないくらい  幸せでたまらないんだ」

「…だがそれではおまえは破滅するしかない…」

「にせものに囲まれて生きるよりずっといい」

 

アッシュと彼を追う、かつて彼の師だった者との会話。どんどん二人は互いがいなくてはならない存在になってゆく。いいなぁ本物。欲しがってる人には本物なんて手に入らないだろうけど。