常々感想記

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アメリカ大陸のナチ文学

帯の背中に書いてある文句が「悪の輝きを放つ作家たち」。

悪の輝き、とはどんなものか。黒い光、それとも悪の意志を秘めて光ることか。輝くというより光を携えると言った方がいいのか。一体悪の輝きとは?

 

あらすじ……といってもあらすじというあらすじがない。じゃあどういう本なのかというと『架空の文学事典』である。題名の通り、”アメリカ大陸のナチ文学”を書き綴った作家や詩人についての事典になるのだが、この事典に扱われている人物は架空の人物である。実在しない人についての事典とはいかなるものか。 

まず事典というからには目次、索引があるはず。どんな項目で、どのように体系づけられているのか。『移動するヒーローたちあるいは鏡の割れやすさ』『呪われた詩人たち』『素晴らしきスキアッフィーノ兄弟』などの項目が見受けられる。どうやら事典と言っても、これは懇切丁寧ではないよう。『架空の文学事典』だから当たり前か。

読み進めていくと、描写が細かい。人物が彫り込まれていくようだ。生没年も書かれているが2017など未来もある。およそ30人ぐらいがこの事典に登場している。最後には資料として、人物や著作一覧が載せられている。

 

ありもしない人物の事典なんて何が面白いのかわからないし、いまでもわからない。けれど目を惹かれるところもある……うーん、想像するのが楽しい?面白くはないけどつまらなくはないし、退屈でもないけど心踊るわけでもない。しかし様々な思いを引き出してくれるしな……。面白いというより”おかしい”の方がふさわしいか。一つはっきり言えることはこれを書いたロベルト・ボラーニョには興味が湧く。内容そのものというよりも何故これを書いたのか?を考えつつ読むと楽しさが増す。

感じたのは詳細でありながらあいまいだということ。投げやりだが精力的。筆が乗るところは一気に書いて、そうでないところは1,2行で済ませてしまうような印象。この事典に出てくる人の最後は不穏なものが多い。自死したり、殺されたり、事故死だったり。どういうことだ。そもそも扱っている内容、情報がバラバラ。事典だけど事典じゃない。

不穏で寂しい、といのがぼくの感想。

どこか記号的なのが事典に出てくる人たちで、 実態がありそうでない。

ひとりの人物についてさかれる紙数は幅があり、長いと30弱、短いと2程度。そこに虚しさを感じる。人ひとりについて語られることの少なさ。半世紀生きて書かれることがこれだけと思うと。

1人異彩を放つ人物がいるが、何故かというとその人物の事典には作者、”ボラーニョ”と称する人物が唐突に登場するからだ。それまで書き手のことを意識さえしなかったが、その項目に関してはボラーニョの一人称で書かれていることがはっきりとわかる。何故最後になって現れたのか、疑問がぼくの頭を占める。この事典は”ボラーニョ”によって書かれたのか?二層構造?一体全体なんのなのだろう。

 

この本を読んで、海外文学の難しさを再確認した。中身とかそういう話ではなく、文脈。馴染みのない地名がどかどか、文化や歴史。そこにいないとわからないものを前提として書いているんだなぁ、と。日本にいるだけじゃ決してわからないものが含まれているんだろうとつくづく思った。そこが魅力でもあるけれど。

わからないことだらけの本だ。しかし悪の輝きとはいかに……?

 

アメリカ大陸のナチ文学 (ボラーニョ・コレクション)

アメリカ大陸のナチ文学 (ボラーニョ・コレクション)