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戦争と平和 

名前は誰もが知っている。

しかしその中身、その極厚の本の内容となると、皆ぼんやりとしか把握していないのではないだろうか。だってめちゃめちゃ長いし、めちゃめちゃ疲れるし、これを最後まで読み通す気力を持ち続けるのは困難ではないか。

題名は強烈、それだけでおぼろげながらも内容は察することができる。ロシアの一つの時代を、そして次の時代への萌芽を描いた物語。

 

その本は「戦争と平和」という。

 

読み終えてから一か月。ようやく何かを書いてみようと思った。読了直後はいっぱいいっぱい。溢れる作者の思想、理念、それを書きだす筆致。処理しきれず、頭はパンク寸前。この本を書くのに五年かけたと言われる。構想はその何年も前から抱いており、それはトルストイの友人に当てた手紙の中に書かれている。しかしその時は

シベリアの流刑地から赦されて一八五六年に、妻子を連れてロシアにもどってきたデカブリストが、新しいロシアに自己のきびしい、いくらか理想主義的な眼差を向ける

 といったものだったらしい。

デカブリストとは、一八二五年十二月に起きた武装蜂起に参加した青年将校を指す。その呼称のいわれは十二月がロシア語でデカーブリと言うことから。この武装蜂起は”デカブリストの乱”といわれており、失敗こそしたもののロシアの革命運動の灯火になった。

この武装蜂起の発端はさかのぼれば、一八一二年の祖国戦争にまで行き着く。トルストイは最終的に、この祖国戦争前、一八〇五年からこの物語を始める。

その「戦争と平和」は一八六五年、第一篇が発表、一八六九年に完結する。

その本はロシアの一大民族叙事詩といえるものになった。

ざっくり内容をいえば一八〇五年の第一次ナポレオン侵攻の直前から一八一二年の祖国戦争、そして一八二〇年へと至るこの物語は、動乱のロシアを描き、混迷の時代を写す。

中心人物は創作だが、登場人物の大半は実在しており、トルストイのこの時期への関心の高さが窺える。まるでその場にいたかのように、トルストイの誕生が一八二八年だからそこにいたはずがないのだが、いきいきと血の通った人が描かれている。

ナポレオンをあげて考えると、徹底して”ナポレオンはただの人であり、時流に乗り、好機を得た、田舎出身の軍人に過ぎない。民衆、正確に言うならば形を持たない民意の総体が偶然彼を選び、神輿に担ぎ上げ、偶像として皇帝という地位まで運んだのだ”といった見方。天才的な軍人として周知されているこの男を貶すわけでもなく、ただの人と言い切る。その姿勢が様々な人の実態を、情感を持つ一個の独立した人として書ききることを可能にしたのではないか。

一個の人を描きつつ、”民衆”という確かにそこにいるのだけれど、誰にも把握できずしかし大きな力を持つ存在をも忘れないのがトルストイの凄いところ。

この「戦争と平和」という題名、本当は「戦争と民衆」だとする考えもあるらしい。なんでも最初の成稿には「Война и мiр」と。мiрには世界、宇宙という意味だけでなく、世間全体、民衆全体という意味がある。мiрしかしこの単語に使われているiは革命後の正字法、要するに言葉の整理の上で廃止された。で、мiрがいつの間にかмирに誰かの手で赤鉛筆で書きかえられていたという。

一つの説にすぎないけれど面白い説。

 

いくらなんでも民衆1人1人描いているわけではない、そんなことしたらいつまでたっても終わりがないし、でも、それでも五百四十九だったか、そのくらい名前を持つ登場人物がいるとのこと。

この時期のロシアは愛称とか父称とかはたまた爵位でその人を刺したりして、同一人物でも呼び方が何通りもあるからまたややこしい。読むときも苦労する。それでも中心人物はいて

貴族の私生児、遺産を継ぎ大金持ちに、ピエール・ベズウーホフ

学者肌貴族、人が生きるとは何かを探求する求道者アンドレイ・ボルゴンスキイ

零落しつつある貴族で愚直で素朴、軍人になる、ニコライ・ロストフ

 皆貴族じゃん!という突っ込みは置いといて、本当はもっといるよ。基本は貴族社会を描きつつ、というスタンスだからね、貴族ばかりになるのはしょうがないね。ある一定の力を社会に持ちうるのは権力を手にしている政治家とか有力な貴族、またお偉い軍人とかだからそのあたりの人物が中心に据えられるのは当たり前のことよ。ちゃんと民衆も書いているから。

 

で、この「戦争と平和」を読み終えたばかりの時、ぼくが書いた走り書きがあった。

露仏戦争を通して、各々が各々の平和を探し、見失い、迷い、間違え、それでも歩みを止めない、誰もが持っている平和(この平和は個人が考え自分で見つけ出すもの)への渇望の話。

 

思いっきり題名に引っ張られている感想ですねぇ。この平和は理想と言い換えてもいいかもしれない。理想を追い求めて、理想の実現をめざし、泥水をすすり、這いつくばり、現実に圧し折られながらも、それでも人は。

トルストイ自身、理想を目指し活動していた。そういう意味で、自分を鼓舞する話でもあったのかも。このトルストイの理念の一端が「戦争と平和」の最後、丸々一節使って語られている。これが濃い。是非一読あれ。

で、この理想や理念を登場人物も実現に向け、活動する。戦争という決して無視することのできない人の営みを通して。

きらびやかな社交界や、田舎で暮らしている貴族社会、戦場。所は行ったり来たりする。しかし一貫して描かれているのは前述したとおりのこと。それ以外にも見どころはたくさんある。一種の恋愛小説でもあるし、軍記物でもある。ジャンル分けなんてナンセンスと思えるほどあらゆることを包括しているので。

個人的にはナポレオンのロシア遠征の話はやっぱり面白かった。そもそもナポレオンに関しての見方が凄い新しく思え、戦争という行為についての考え方も今までは「互いの利益のために行う国家間の闘争」という考え方がぼくのなかの骨子だったけれど、そんなことは粗末なこと、と言い捨てているかのようなトルストイ。この本のせいだけでなく、最近「戦争」についての考え方がふらふらしているのだけれど、これからも考える上でトルストイの見方は一つの軸となりそう。

時代も変われば「戦争」のあり方も変わるだろうな、と思いつつそんなことも思うぼく。

 

話はがらっと変わるけれど、どうして軍記物とか戦史ものって面白いんだろう。「銀英伝」とか「坂の上の雲」とか。ワクワクするよねー。今度は第二次世界大戦関連の本でも読んでみようか。

 

 

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

 

 ちなみにぼくが読んだ本の訳者は原卓也さんでした。