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ムーンライト

introduction

 

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アカデミー賞を作品賞・脚色賞・助演男優賞の3部門で受賞したのが『ムーンライト』だ。今回、あらすじやPVでの知見は無しでの鑑賞。知っていたのは黒人の少年の話だ、というくらい。

結論から言うとこの映画が大好きです。

 

plot summary

 

リトルというあだ名があり、唯一の友達にはブラックと呼ばれたりもするシャロンという男の子の話。

 

cast&crew

 

監督はバリー・ジェンキンス。名前も聞いたことが有りません。この作品が長編第2作目でかつ年齢は30代の半ばで若手。「ラ・ラ・ランド」で一躍時の人となったデイミアン・チャゼルと似たようなプロフィール。

 

キャストに関しても知らない人ばかり。助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリは以前見たことのある映画に出演していたようだが記憶にない。しかし、すごかった……

 

report

 

映画を見ていない人はあまり読まないほうがいいかもしれません。

 

 

 

ムーンライトはシャロンという男の子の話。シャロンはちょっと内向的で友達もおらず、翻っていじめられるような男の子だ。その男の子が愛を探し求める話だ。3部構成の物語。

 

1部.リトル

内向的なシャロンは友達から走って逃げている。なんとか引き離し空き家に逃げ込み鍵を閉めるが窓から石が投げ込まれる。そこでじっとしていると麻薬の売人のフアンがやってくる。

「ここで何をしているんだ?」シャロンは一切口を開かない。食事を食べはするがフアンに何も答えようとしない。家の場所を聞くもそれすら答えないのでフアンは自分の家に連れてくる。そこにはフアンの女のテレサがいた。

 

母親からほぼ育児放棄に近い扱いを受けているシャロンにとってそこは心休まる場所であり、人がいた。シャロンはフアンに家まで送り届けられたあと、しばしばフアンの元を訪れる。

そこには自分のことを気にかけてくれる大人がいる。シャロンが自ら話すのを辛抱強く待ち、そしてしっかりと聞いてくれる。無表情で可愛げのないシャロンを遠ざけたりしない。実の親に愛されず、同年代の子供からはいじめられるシャロンにとってフアンは初めての心許せる大人だった。何も言わずとも隣にいれる、苦しくない。

 

そう、シャロンは「語らない」。口をひらいても言葉数は少ない。じゃあ、どうやってシャロンの心の中を語るのか?

見せて、聞かせるしかない。

このムーンライトという映画ですごいのはここ。ごく自然にそのことをやってのける。観ている間「シャロンは何を思っているんだ?」とずっと考えていた。考えさせてくれる映画だった。それもシャロンではない他人の口から特に彼について語らせることもせず、モノローグを使うこともせずに。

シャロンが虐められているのは母親が売春婦だからだし、シャロン自身がゲイ(この時点でシャロンはそのことに自覚的ではない。ただ、男らしくない男であるため標的にされている)だからだ。そして、そのことを見せること、聴かせることで伝えてくれる。映像もすごいし音楽もすごいです。綺麗でどこか寂しい。

 

なぜ語らないのか、語れないのか。シャロンの唯一の友人のケヴィンは「お前はタフだ」と彼のことを評する。確かにそうなのかもしれない。でも、見えない胸のうちの苦しみを吐露しないのはタフだからだけじゃない。その抱えている気持ちをどうしたらいいかわからないからだと思う。そして自分自身のことすらよくわからなくなっていく。シャロンは答えを探し続ける。

その気持ちを抱えたまま1部は終わり、2部の「シャロン」へ続く。

 

2部.シャロン

ただ溜め込んでいるだけの幼少期と別離するのが2部から3部にかけて。体も大きくなり、できることも増えた。だけど口数少なく内向的であることは変わらない。

シャロンは語らない、と言った。では語らせる工夫はできないのか?

見せるや聴かせるではなくて。

シャロンは内向的といったが唯一の友人、ケヴィンといるときは表情が柔らかく冗談も言う。フアンがいない今では彼といるときだけが安心できる時間。その時にはシャロンも心中を話す。シャロンだって信頼できる人、愛する人になら自分のことを話すことができる。その時のセリフが

「泣きすぎて水滴になりそうだ」

シャロンはもうゲイであることもはっきり自覚している。このセリフは口数が少ないシャロンが言うからこそ鋭く胸を抉って、とにかく走り出してしまいたい気持ちになる。

 

そして、ある事件が起きて2部は終わり3部の「ブラック」。

 

自分は何者なのか、何がしたいのか?が全編通して問われる。フアンが幼いシャロンに言った「自分の生き方は自分で決めろよ」はシャロンにとって道標でもあったが呪いでもあったのかもしれない。

そして、その問いは僕たちにも突きつけられる。最後のシーンを見ると冷たい光で射抜かれたようで。自分の胸の内に何があるのかをのぞき見られているような、落ち着かない気持ちになった。

 

語らない映画についてこれ以上語るのは味気がなくなってしまいそうなのでこの辺でやめにします。大好きな映画の一本になりました。

崖っぷち

introduction

 

拝啓、クソったれ世界様。

 

本の帯にとてもこちらを煽ってくるフレーズが書いてあった。そんなわけで僕も「くそったれ本を読んでやる!」という気持ちで本を買う。内心はめちゃくちゃ期待していた。

キャッチコピーに違わぬ内容で身近なものを片っ端から罵倒し、否定し、叩きのめしていた。頭の中に渦巻く憎しみをそのまま書き出しているのでひじょーに読みにくい本だった。

 

author

 

フェルナンド・バジェホ。彼はコロンビア生まれの作家。だから大別すればラテンアメリカ小説になる。この作品でロムロ・ガジェゴス賞を受賞しており、過去にはガブリエル・ガルシア・マルケスやマリオ・バルガス・リョサなどのノーベル文学賞受賞作家もこの賞を獲得した。

個人的な感想を言えば、バジェホはノーベル文学賞獲れないだろうなぁ。欲しいとも思ってなさそうだけど。

 

plot summary

 

大好きな親父は死んだし、弟はヤクと酒漬け、終いにはエイズにかかって死んだ。どうしようもなかった。お袋と呼びたくもないあばずれ女はなぜかしぶとく生きている。なぜだ?ガキ製造機の気狂い女は絶えず俺らを悩ませる。こんなクソみたいなメス犬はくたばっちまえ!

 

review

 

一応あらすじを書いたけれど、この本には厳密な意味でのあらすじはない。最初から最後まで痰を飛ばして毒を吐く。喉をからして呪詛を唱える。それだけの本だった。時系列もてんでバラバラ。

神と祖国なんてクソ喰らえ!神なんて存在しないし、存在しているならそれは豚の似姿。

 

「これを作った奴には二回クソをぶっかけてやる!一度はそいつのお袋に、もう一度はそいつのバアさんに」

 

母親はたった一人しかいないというけれど、嘘言うんじゃない、三十億人以上いるだろうが!

 

「あの孕んだ姉ちゃん、轢き殺すか?どうだ?」

 

どうして天使が悪魔を孕むのだろうか?教えていただきたい、シャーロック・ホームズさん。とても簡単なことだよ、ワトソン君、遺伝子だ。レンドン家の遺伝子さ!

抜粋したこれはほんの一部。

ぼくは圧倒されっぱなしで、読んでいてもあまりの言葉の弾丸に面食らい、なにがそこまで憎いのか、どうしてそこまで憎いのかわからなかった。しかし読み終わった時には不思議と「憎しみ」という感情より、書き手=主人公、の悔恨・苦悩・疑問の本だったと感じた。その答えを探すことが、手当たり次第目につくものに憎しみを撒き散らす行為だったのではないか?

 

何かを否定する時は、その何かに対して「自分が正しいと信じている」か「正しいかわからないが、どこかまちがっていると感じている」時だと思う。

この本では圧倒的に後者。「正しいかわからないが、どこかまちがっていると感じている」から目につくものすべてに罵声を浴びせている。

「自分が正しいと信じている」人にはどこか余裕がある。なぜ?余裕がなければ信じることはできないから。信じるための根拠は経験にしろ理屈にしろ感情にしろ、己にとって確固たるものでないと何かに対し正しいと信じきることはできない。

信じるものはないけれど、間違っていることはわかる。こんな状態、苦しいに決まっている。だからこそ、そのクソったれな世界から逃げるために父親安楽死させ、弟を見捨ててしまったのではないか。

それでも、自分の中から湧く憎しみは止むはずもなく世界との対峙は続くのだが。

 

何かを嫌い、否定することにも大きなエネルギーがいる。訳者の久野量一さんもあとがきで述べている。

人が何かを憎むこと、否定することができるのはその対象を限りないまでに愛した経験があるからということだ。愛した経験がないものを人は本気で憎むことはできない。

ここでなるほど、と頷くことは容易い。しかし、ぼくにはそれがいまいちピンとこない。まさに「何かを限りないまでに愛した経験」がないから。ぼくは、いつか何かを心のそこから愛することができるのだろうか。

そんなことを思わされてしまった。

 

しかし、やたらめったに悪態をつく人も端から見ている分にはどこか可笑しくて笑ってしまうんだよなぁ。

 

「ぐるるるるるる……」雌虎は吠えた。

「もうおしまいだ、クソババア」おれはその女から習った甘くて洗練された言葉を吐いた。

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

 

 

凍土二人行 黒スープ付き

introduction

たまには自分の趣味と違う本を読むのもいいものだ。

 

author

 

雪舟えま。気鋭の詩人で小説家とのこと。なお、この小説は早稲田文学に掲載された短編に書き下ろしを加えて一冊の本にしたもの。

正直、作家よりも筑摩書房が一目でイラストとわかる、線が少ない絵が表紙の本を刊行していることになんだか驚いた。

 

 

plot summary

 

ここではない寒い遠い星で……

シガは家の声を聞ける力があった。家の声を聞くと住んでいる人も知らないようなことをことを知ることができた。その力を活かし「家読み」という仕事をしつつ旅を続けている。

その日もシガは家の声を聞いていた。すると家に「納屋に見知らぬ浮浪者が寝ているので追い出して欲しい」と言われる。

シガはそこで逃亡クローンのナガノと出会う。

 

review

 

1人と1人が出会って、2人になりお互いそっと支え合って暮らしていく。シガとナガノ以外が主役の短編もある。この本の短編に共通するのは1人だったが、誰かと出会い変化が起きる、というものだった。新しい人との出会いは新しい物語を生み出す。

 

そして全体を通して、逃げることを肯とする本だなぁという印象を受けた。そしてその先、新しい展望を切り開くため、つかむために自分らしくあろう、と。逃げることを否定的に受け取らないのはほんわかした文体のせいもある。抽象的というよりか、一般的なものの見方というべきか。深堀しすぎず、重箱の隅をつつかない。

「逃げる」という言葉を使っているが、「進む」と言い換えることもできる。ただ、この短編の中では「逃げる」ことで、新しい生活を得ていたので。

 

自分がしたくないことはなんだろう?自分が望んでいることはなんだろう?自分がやりたいことはなんだろう?そんな疑問に直面する。そんな時は誰にでも来る。そこで答えが出る人は幸せだ。世の中には答えが出ない人の方が圧倒的に多い。そもそも答えを出すヒマもなく、状況が有無を言わせず流されていくしかない人もいる。

 

ナガノは働かされるために生まれてきたクローンだが、そんな生活が嫌になり逃亡した。何かがしたかったわけではない。ただ働くだけの生活がやりたくなかった。ただ、右手のリングで監視されており、問題があるクローンと判断されると爆発する。そのことを考えるとどうしても踏ん切りがつかなかった。

ある時チャンスが転がり込み、ナガノは後先考えずに逃げ出す。そして後悔する。なんてことをしてしまったんだ。連れ戻しに来るかもしれない。このリングが爆発するかもしれない。

 

案外人生ってそんなもんなのかも。勢いで行動して、結果は後から付いてくる。失敗だと思ったことが、振り返るとそうでもなかった。そんな経験は僕にはある。良いと思ってやったことが悪い結果を招くこともある。

逆も然り、なのが人生の厳しいけれど面白いところなのかもしれない。

 

そして題名にある黒スープの正体は?大いに気になって読んでいたが……

(以下でバラします。知りたくない人はここでバイバイ)

 

 

 

 

 

 

コーヒーだった。

 

黒スープのくだりを読むとそうとしか思えない。なんだよ!と思いもしたがふと気づく。「僕はいつからコーヒーのことをコーヒーって認識していたんだろう?」頭がまっさらな状態で、コーヒーについての予備知識がない状態で目の前にコーヒーが置かれたら僕も黒いスープだって思うんじゃないか?

 

もしかしたらコーラが腐った飲み物だと思うかもしれないし、何かの得体のしれない生き物の体液だと思うかもしれない。僕にはコーヒーについての知識があったが、見方を変えると先入観が植えつけれられていた。そんなわけで考え直すと黒スープはコーヒーではなく、コーヒーに似た何かでした。

常に物事を自分の目で捉えること。これはできそうでできない。けれど、そうやって周りを見たら楽しいことでいっぱいなんじゃないだろうか。

 

そこで手元にあるドーナツを見てみる。

輪っか型である。触ると油でべとべとするので揚げ菓子だろう……え?これ以上僕の脳みそからなにが出てくるっていうんですか?

いやはや難しいです。しかし楽しくもある。マジカルバナナに近いものがある。うーむ、頭が固いのかしら。

 

小説というより童話に近い。本屋で見つけるまで買う気は全くなかったが黒スープというフレーズに惹かれたぼくの負け。

 

 

凍土二人行黒スープ付き (単行本)

凍土二人行黒スープ付き (単行本)

 

 

パパ・ユーア クレイジー

introduction

月並みの言葉でしか言えないが、これはすごいいい本だった。何がいいのかは読めばわかるぞ。ということでみんな読もう。

 

author

ウィリアム・サローヤン。移民の子としてアメリカに生まれた。様々な職を転々としたのち1933年発表の「空中ぶらんこに乗った勇敢な青年」で注目を浴びる。

文庫本に載っている著者近影を見て、親戚にいる気のいいおじさんみたいだなと思う。

 

plot summary

マリブの海辺にある父の家で、僕と父の新しい生活が始まった。僕と父は一緒に語り合い、遊び、食べる。世界を見て、世界について考えること。僕は彼と一緒に暮らして、世界について知っていった。

 

review

昨年、2016年の河出書房新社日本文学全集の講演会において、高橋源一郎さんが衝撃を受けた翻訳本でこの本を挙げていた。訳者は伊丹十三。これは読むしかない。早速手に入れてページをめくる。

これは一気読みするのがもったいない本だと思った。小気味良い会話と平易な文章だからスラスラと読める。その上、節で短く区切られているので気がつくとページを何ページもめくっていることがしばしばあった。その度に僕は「もったいないことをした」と思う。

本だからいつかは読み終わるのが当たり前。その世界に入り込み、一気読みしてしまう本も数多くある。それはすごいことだ。夢中になって周りが見えなくなってしまうということだから。

ただ、この「パパ・ユーア クレイジー」は世界に入り込んで、まるで自分も生活しているかのような錯覚を得る。この本を読んでいるといつの間にか僕も、小説の中の"僕"ことピートと一緒に寝起きし、ご飯を食べ、海でかけっこをしている。こんな本は滅多にない、そう思うと読むのが惜しくなってしまった。だからなるべく少しづつ読むように心がけて読んだ。

そして僕は次元を超えていたことに気がつく。今、3次元の世界から紙面の中の2次元に入り込んでいた。とんでもないぞ……コレ。

僕は2次元で、父との会話を"僕"ことピートと一緒に楽しんでいる。ピートに入り込むのはどちらかというと父よりピートのほうに年齢が近いせいか。

昨夜見た夢の話を父とピートはする。

「私は道路を歩いていたんだ。すると、すぐそこに、私の目の前の歩道に、真新しい札がまるごと一と束落ちているのを私は見たんだ-後略-

「何ドル札だったの?父さん。一ドル札だったの?それとも十ドル札だったの?」

「百ドル札だったのさ」

「五百枚の百ドル札?」

「そうだ」

「それ、いくらになるの?」

「五万ドルさ」

「ウワア!」

そして、いつの間にか自分が父と会話をしているかのように感じてしまうのだ。

それはこの小説の、人称代名詞を略さない、という奇天烈な翻訳の仕方のせいでもある。講演会で高橋さんもそのことに触れていた。同じ代名詞が短い間になんども出てきたらどうしてもくどい文章になると思うでしょう?僕も思った。

しかしこの小説に限ってはそれで良かった。

あとがきで伊丹十三は書いている。

私と言おうと、僕と言おうと厳密な意味においてアイの訳語になりうるものではないのだ。

なんでも、"私"や"僕"はその言葉を使った時点で「相手に対する自分の立場」を表明してしまっている。一方、西欧の文化は主体と客体を否応なしに区別する。そのため英語の「アイ」はまず自我を起点に関係を作り上げている言葉だそうだ。

成る程。成る程!意識はしたことなかったが言われて見ればそうかもしれない。あとがきさえも読むことができて良かったな、と思う。

 

そして自分が小説の中に入り込むと自然とピートと同じような視点で世界を見はじめる。するとどうだろう。

それこそ使い古されて陳腐なもの言いになるが、世界はとっても美しいことに気づかされた。

 

この感覚を是非味わって。

 

パパ・ユーアクレイジー (新潮文庫)

パパ・ユーアクレイジー (新潮文庫)

 

 

 

2016 印象に残った本

映画に続いて本版も。今年初めて読んだ作品で印象に残ったものをパッパと挙げていきます。よくも悪くも翻訳物ばっか読んでいた気がする。

 

 

雨月物語春色梅児誉美(河出書房新社 日本文学全集第11巻より)

 

どちらかに絞りたかったが両方とも良かったんだもん。雨月物語はちょっと不思議な話、春色梅児誉美は三角関係を扱った人情物語。今読んでも全く色あせていない面白さがここにはあった。

 

巨匠とマルガリータ

 

すごいぞ!ヴォランド率いる悪魔たちが起こす騒動が面白くて、ついついページをめくってしまう。悪魔に翻弄される現代の人間たちがいわゆるブルジョワ階級ばかりなのも皮肉が効いているぞ。一回ちゃんと感想をまとめたい本。

 

三国志(吉川英治版)

 

問答無用の面白さです。読まれる理由もわかるというもの。分かりやすくて、登場する人物たちが生き生きしている。個人的に好きな武将は趙雲です。

 

風とともに去りぬ

 

新潮文庫の新訳でよみました。想像以上に主人公のスカーレットがクソ女でした。言い方を変えれば自分の欲求に素直な女と言えます。クソ女と言ったけれど、嫌な女という意味ではありません。

 

見てごらん道化師を!

 

ナボコフの本です。面白いと思わなかったことになんだか驚き!自分のために書いていおり、他人のために書いていない文章だなぁという印象。ナボコフのことをよく知っている人が読んだら面白いと思うのではないだろうか?

読ませる気がないと分かれば、ぼくも無理にわかろうとしないので読むのが苦痛ではありませんでした。また読んでみたい本。

 

重力の虹

 

続いてよくわからなかった本シリーズ。えー・・・・・・また今度チャレンジしたいです!

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

亡霊の日記

 

今年読んだような、去年だったような。しかし忘れられないので書き残しておく。ロベール・デスノスというフランス人作が書いた短編小説です。彼はシュルレアリスト。この作品は、情報をインプットせずまっさらな状態で読んでほしい本。

 

春琴抄

 

今まで読んでいませんでしたァ!時代がかった語り口ですが、それが作家谷崎潤一郎の到底ありそうにない話に読者を没入させるための工夫と聞くと「すげぇ」としか言えません。

 

ムーミン谷の彗星

 

ムーミンの本を読むのは初めて。なんだこれ、結構怖い話だぞ。続きも必読します。

 

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン

 

このブログに書いた感想が作者本人に「いいね!」されたので、忘れられるわけがない。本も面白かったし、今後も注目したい作家です。

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

生鮮てるてる坊主

 

今年度の川端康成文学賞受賞作です。生々しい話をよくここまで生々しくかけるものだ。ちょっと気分が悪くなったぐらいです。おえっ。

 

アメリカ大陸のナチ文学

 

今年はボラーニョに出会えたのがなによりよかった。他の作品も読みましたが、ボラーニョ初読みのこの本をあげます。

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

帰郷ノート

 

フランスの植民地だったマルティニック島の政治家であり詩人であったエメ・セゼール著。逃げることを許さない力強い言葉の詩。アイディンティとはなんだろう。

 

白痴

 

ゲーム「マザー」に出てくるどせいさんはこの小説に出てくるムイシュキン侯爵がモデルらしいです。純真すぎるのも混乱を生んでしまうのか。

 

ロリータ

 

なんでこの本をここまで書くのを忘れていたんだ?めちゃくちゃ面白かったのに。

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

第三帝国の興亡

 

ノンフィクションです。第二次世界大戦時のドイツの動向を追った本。

 

cigareyes.hatenablog.jp

 

暴力の人類史

 

いろいろと考えてしまう本。何回かに分けて振り返るといっていたけれどできていない。ダメだなぁ。

 

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ざっと思いついた限りであげました。今回挙げなかった作品も印象に残らなかったわけではなく、まだまだ出てきそうなので一回区切ろうと思っただけ。

今年は本をいっぱい積んでしまっているので、来年はまずその本たちから読みます!

 

 

 

2016年 印象に残った映画

今年初めて見た映画で印象に残った映画を幾つか挙げてみようと思います。

今年公開の映画とは限らず、昔のも多々含まれるかと。基準はなく、ただ「そういえばあの映画……」程度なのでかなり主観的。挙げる順番も関係ありませんので悪しからず。

 

 

ドクトル・ジバゴ

 

ロシアは広い!開けた雪原を行くまばらな人影が非常に印象に残りました。文章ではロシアは広いと散々読んできましたが、それを実感させてくれた映画。

ロシアに行ってみたいですね。

 

マイ・ファニー・レディー

 

今年の初めに見ました、新年早々笑わせてくれた映画です。面白い映画だった、それに尽きます!

 

 

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天井桟敷の人々

 

やっと見ました。「名作だ」という評判は聞いていましたが、3時間ほどの長い映画なのでなかなか手が出ませんでした。見ればあっという間に時間がすぎた……。バチストを演じたジャン=ルイ・バローのあどけない表情に加え、舞台と日常で見られる変化が圧巻でした。

 

スターウォーズ ローグワン

 

つい先日見てきました。率直にいえば駄作です。

見所は恐怖の対象であるはずの帝国軍が全くそう見えず、上司に脅され右往左往するさまがとても可愛いこと!あとはフォース大好きおじさんの存在が救い。

ナンバリングタイトルに期待しましょう。

 

黒猫・白猫

 

ブログにも書きました。それほどいい映画でした。うーん今度DVD買お。

 

 

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君の名は

 

映画に音楽って大事だなぁ、としみじみ思った映画。繰り返しになるけれど、個人的には「映画ではなくものすごく長いPV」という感じ。いいところだけ抜粋して編集した感じがものすごくする。面白いんだけども。

 

 

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この世界の片隅に

 

語るより見てほしい!それほどの映画。クラウドファンディングで制作費を集めたという話も嬉しい話。何回でも見れます。見たいです。

 

 

シンゴジラ

 

石原さとみの「ガッジーラ」では笑わせていただきました!平泉成の「ハァ、アメリカさんは無茶ばっかりいうねぇ」は最高のセリフだと思います。過去作も見てみようと思いました。

 

女たち

 

ジョージ・キューカー監督作品。本当に女しかでてこない映画です。まずそこにびっくり。そしてそれで面白いことにまたびっくり!女の戦いは面白いです。

 

わたしの殺した男

 

黒い手袋をクローズアップさせてカメラを徐々に引く演出をしたのはこの映画が初めてだったとどこかで聞いたような聞いたことがないような。

 

エル・トポ

 

常に「なぜ?」と思いながら見ていた映画。わからないので困っちゃう。

 

 

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洋画に偏ってるなぁ。邦画も見たいと思うけれども。そういえば

 

木下恵介監督の「風花」だと思うけど、見たなぁ。

伊丹十三も見たっけ。「タンポポ」は面白かった。来年はもっと映画みよう。そのために年末年始も映画漬けだ!

 

 

 

 

 

人生初ライブ 11/21「ペトロールズ」

introduction

これまで音楽はCDで十分と考えていたし、ライブに行かないのは人ごみが嫌いだという理由もある。しかし行かず嫌いというものも如何なものかと思ったので、とりあえず行ってみることに。うーん、やはり現場でしか味わえないものはあるのだなぁ。

 

僕の音楽への姿勢について 

音楽はCDで十分だと思っていたというか、多分そこまで熱心に音楽を聴いてきてはこなかった。好きな楽曲はもちろんあるし、よく聞く曲もあるけれどその大半は映画やアニメ、ゲームのサントラだった。言っておくけどそれだけではないよ!

はい、平沢進が好きです!

 

けれどもそれでいいのかなぁ、食わず嫌いっていうのもなぁと思った。そこでこう言い方はよくないとわかっているが、あまり大きくない規模のライブに行ってみようと思った。実際は新木場coastって大きいのか大きくないのかもよくわからなかった。

どうして「ペトロールズ」を選んだのかは覚えていない。どこかで聴いて「いい」と思ったからライブに行ってみようと思ったのは確か。

 

ライブ当日

 

新木場駅を出て、曲がってまっすぐ行けば会場に着くと覚えていた。右か左は把握していなかった。そこで右に行った。小雨が降る中、夢の島公園の脇を歩いていく。思ったより遠い。場所を確認する、逆方面だった。

いそいそ戻って会場へ。会場へ向かうと思わしき人が左に向かっていたのになぜ右に曲がって行ったのか……

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なんにせよ、ついた時にはまだチケット番号をが呼ばれておらず少し待つことに。リュックを背負っていたのでコインロッカーに入れたいと思ったが、外のロッカーは埋まっており、会場内でしまうことにしたが100円玉がなかった。

飲み物はジントニックを飲んだ。ほぼ一気飲みをした。

ライブは立ち見をだったが結構しんどいなぁ、アレ。

 

音楽を聴いて

 

やはり生は違うんだな、ずんずん体に響いてくる。低音は大好きなので少し心地よかった。でも音が大きいとも思った。ライブはああいうものなのだろうか。即興や、原曲より少し曲調を変えた演奏はライブでしか聞けない。これが醍醐味か。

目の前にいる人の体が音楽に合わせてゆらゆら揺れていた。体の関節がバネなんじゃないかと思うほどに。これがライブかぁ。音楽はすごいけれど怖いな。

音を体で感じられること、がライブの魅力だろう。うーんこれははまってしまう人ははまってしまうのもわかる。

だが、僕は立ち見は嫌だなぁと思ってしまった。もっと小さい会場で座って音楽を楽しみたいと。ジャズ喫茶でも行ってみようかな。

 

バンドについて

トロールズは音の足し引きが上手なバンドではないか。フレーズを重ねたり、引いたりしの変化で聴いている人を楽しませてくれる。ハモりが多いのもその証ではないか?

あとめっちゃうまいな。

バンドの印象も生だと変わる。

PCを通して聴くと落ち着いてるなぁという印象だったが、ライブだと遊んでいる子供といった感じ。見せびらかし、俺の音を聴け!と自己主張する感じ。そうでもないと音楽はできないのだろう。驚き。こんなにもイメージが変わるなんて。

 

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音楽は生で聴くのとCDで聴くのとはまったく違うと実感した。生の音を聴くのは楽しい。もっと小さい会場でまた今度何かのライブに行ってみようかな。