人生初ライブ 11/21「ペトロールズ」
introduction
これまで音楽はCDで十分と考えていたし、ライブに行かないのは人ごみが嫌いだという理由もある。しかし行かず嫌いというものも如何なものかと思ったので、とりあえず行ってみることに。うーん、やはり現場でしか味わえないものはあるのだなぁ。
僕の音楽への姿勢について
音楽はCDで十分だと思っていたというか、多分そこまで熱心に音楽を聴いてきてはこなかった。好きな楽曲はもちろんあるし、よく聞く曲もあるけれどその大半は映画やアニメ、ゲームのサントラだった。言っておくけどそれだけではないよ!
はい、平沢進が好きです!
けれどもそれでいいのかなぁ、食わず嫌いっていうのもなぁと思った。そこでこう言い方はよくないとわかっているが、あまり大きくない規模のライブに行ってみようと思った。実際は新木場coastって大きいのか大きくないのかもよくわからなかった。
どうして「ペトロールズ」を選んだのかは覚えていない。どこかで聴いて「いい」と思ったからライブに行ってみようと思ったのは確か。
ライブ当日
新木場駅を出て、曲がってまっすぐ行けば会場に着くと覚えていた。右か左は把握していなかった。そこで右に行った。小雨が降る中、夢の島公園の脇を歩いていく。思ったより遠い。場所を確認する、逆方面だった。
いそいそ戻って会場へ。会場へ向かうと思わしき人が左に向かっていたのになぜ右に曲がって行ったのか……
なんにせよ、ついた時にはまだチケット番号をが呼ばれておらず少し待つことに。リュックを背負っていたのでコインロッカーに入れたいと思ったが、外のロッカーは埋まっており、会場内でしまうことにしたが100円玉がなかった。
飲み物はジントニックを飲んだ。ほぼ一気飲みをした。
ライブは立ち見をだったが結構しんどいなぁ、アレ。
音楽を聴いて
やはり生は違うんだな、ずんずん体に響いてくる。低音は大好きなので少し心地よかった。でも音が大きいとも思った。ライブはああいうものなのだろうか。即興や、原曲より少し曲調を変えた演奏はライブでしか聞けない。これが醍醐味か。
目の前にいる人の体が音楽に合わせてゆらゆら揺れていた。体の関節がバネなんじゃないかと思うほどに。これがライブかぁ。音楽はすごいけれど怖いな。
音を体で感じられること、がライブの魅力だろう。うーんこれははまってしまう人ははまってしまうのもわかる。
だが、僕は立ち見は嫌だなぁと思ってしまった。もっと小さい会場で座って音楽を楽しみたいと。ジャズ喫茶でも行ってみようかな。
バンドについて
ペトロールズは音の足し引きが上手なバンドではないか。フレーズを重ねたり、引いたりしの変化で聴いている人を楽しませてくれる。ハモりが多いのもその証ではないか?
あとめっちゃうまいな。
バンドの印象も生だと変わる。
PCを通して聴くと落ち着いてるなぁという印象だったが、ライブだと遊んでいる子供といった感じ。見せびらかし、俺の音を聴け!と自己主張する感じ。そうでもないと音楽はできないのだろう。驚き。こんなにもイメージが変わるなんて。
音楽は生で聴くのとCDで聴くのとはまったく違うと実感した。生の音を聴くのは楽しい。もっと小さい会場でまた今度何かのライブに行ってみようかな。
これが現代・・・・・・
先日書いた「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」の感想文が作者本人にいいね!されるという珍事が起きました。
ぼくのダラダラ読書感想文に作者がいいね!をしてくれるとは・・・・・・
なんだか嬉しくなってしまいます。
作家さんとこんなに距離が近いなんて思ってもいなかったので驚きがいっぱいです。
これが現代なんですね。
こちらがそのツイート
@2666island very cool review! Thank you so much! Enjoyed reading it! =)
— Peter Tieryas (@TieryasXu) 2016年11月13日
very cool reviewと言ってくれました。とっても嬉しいのですが日本語を読めるのでしょうか?
これからももしかしたら作者本人に読まれることがあるかもしれないと思うと下手な感想文は書けないなぁ。思うだけで変わらない気もしますが。
皇国「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」
introduction
21世紀版『高い城の男』(読んだことない)という宣伝文句で、大々的に売り込まれたこの作品です。表紙は『メカ』と呼ばれる大日本帝国軍(陸軍なのか海軍なのか空軍なのか気になる。おそらく陸軍であろうが……)の兵器。
第二次世界大戦で日独が勝利し、現在のアメリカが日本とドイツによって分割統治されている世界でのお話。
author
ピーター・トライアス。この作品が長編第2作目。
作家デビューしてからまだ時間があまり経っていない様子?邦訳されたのも今回が初めて。読んでみましょうよ。
plot summary
第二次世界大戦で日本とドイツ勝利し、アメリカ西海岸が日本の統治下におかれて40年。1988年、巨大ロボット兵器「メカ」が闊歩する合衆国日本で検閲局に勤める怠け者の帝国陸軍大尉石村紅功は、特別高等警察の槻野昭子課員の訪問を受ける。
彼女は石村のかつての上司、六浦賀将軍の消息を追っているという。高名な軍事ゲーム開発者の六浦賀は、先の対戦でアメリカが勝利をおさめた改変歴史世界を舞台とするゲーム「USA」を密かに開発し、アメリカ人抵抗組織に協力しているという。石村は槻野と共に六浦賀を捜索することになるが……
review
・独裁
前々から読みたいと思っていたが、先の「第三帝国の興亡」を読んでからの方が絶対面白いと思ったので、読むのが先延ばしになっていた作品です。
いやー、楽しいですね。楽しいながらも「偉大なるアメリカ」ってなんだろうなぁと思わされます。
あらすじだけ読むと、ハリウッド映画みたいな印象をおそらく受けると思うのですが、日本人向きの小説ではないかと思います。
第二次世界大戦で日本が勝利した世界ですが、ディストピアに近づいています。反抗的な思想を抱くと、尋問と称し連れ去られ拷問。死に至る。こんなことは起きないよ!と日本人なので主張したくなりますが、そうも言えないのが辛いところ。軍事国家はこうなってしまうしかないのでしょうか?
天皇を神と同一視して、少しでも不敬な発言があったらしょっぴかれる嫌な世界です。「皇国」と日本のことがしばしば呼ばれますが、それがいい意味に全く聞こえない。
すごいところは、日本の強圧的な態度に反抗するアメリカ人もきちんとおかしく描いているところです。アメリカ人はキリスト教を信奉し、そのイデオロギーによって行動していますが、本を読んでいる僕らからするとなにかおかしい。結局やっていることは規模が違うだけで日本と変わらないのではないかと。
その組織の名前がジョージ・ワシントン団なのには笑ってしまいました。
第二次世界大戦で日本が勝利した世界、「メカ」という巨大ロボット。という心がワクワクする設定をカモフラージュに、骨太な要素が詰まっています。結構ダーク。
気になるのが「どうして日本は戦争に勝利できたのか?」です。自分なりに予想を立てて読んだところ当たらずとも遠からず、といったところでした。やったぜ。
日本とドイツはまず協力してソ連を叩く。ソ連を叩き終わった後、アメリカ侵攻といった順序。アメリカとの戦争が始まった時期が、史実より少し遅くなっています。ドイツも無闇に戦線を拡大することがなかったのでしょう。
・なんだかあまり本編の話をしていない気がする……しよう
1948年で「メカ」というロボットが歩行する世界です。1988年が物語の主な舞台ですが、それでもテクノロジーは今と同じ、もしくは今以上の水準まで達しています。今でいうコンピュータは「電卓」と呼ばれ持ち歩きも楽。主人公石村紅功(作者によると槻野昭子のほうがメインキャラクターらしいが)もプログラミングの腕が優れており、それを生かして検閲局で仕事をしている。
その仕事は販売されているゲームにおける選択肢等から、その個人の思想を推し量り、反抗勢力を調査するという仕事だ。ゲームといって馬鹿にできない世界である。そこに作者の日本文化好きも窺える気もする。
僕がこの本で好きなところは怠け者でサボりぐせがあり、女にだらしがない石村が、物語が進むにつれて一本気の通った男だとわかるところ。昔は過ちも犯したが、それでも彼の選ぶ道は間違っているとは言えない。よっ紅功屋!
一方、槻野。確かに彼女が主人公です。皇国の一兵士として忠誠を誓い活動してきたが、間違え、悩み、知り、後悔し、それでも立ち上がろうとする。彼女は成長したら草薙素子みたいな女性になるのではないでしょうか?その時「昭子ォーーーー!」と呼んでくれる男性が現れるのを切に願います。
「メカ」戦もあります!巨大な質量のぶつかり合いを楽しみましょう……1対8というほぼリンチみたいな状況です。これは映像でみたいなぁ。
・まとまるのか?まとめ
とりとめのない話が終始続きました。しかし面白いのは保証します。僕は「第三帝国の興亡」を読んでからこの作品を読むことにしてよかったぁと思っています。松野やロンメル、ゲッベルスという名前にニヤニヤしながら読めました。
もちろん歴史に詳しくなくても楽しく読めます。
しかし参考文献に「第三帝国の興亡」が載っていた時はなんだか知らないが震えたなぁ。
「お……俺は弱いんだ。」このセリフが好きです。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
- 作者: ピータートライアス,中原尚哉
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/10/21
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第三帝国の興亡
introduction
ナチスドイツは1933年からおよそ11年半存続し、ヒトラーは1945年4月30日に自害した。なぜヒトラーが権力を握るに至ったのか、そしてなぜヒトラー率いる第三帝国は滅びたのか。までを丹念に描いた本。
作者も戦争当時、ジャーナリストとしてドイツに滞在しており彼の目で見たドイツ、今では信じられないようなことが起きた当時のドイツの雰囲気を伝えてくれる。
author
ウィリアム・L・シャイラー。ジャーナリストとして、ドイツに1940年まで滞在しており、その後は戦況の悪化から本国のアメリカに帰国。オーストリアの併合や、ポーランド侵攻は現地で遭遇した人。
第二次世界大戦の特徴は豊富な資料が残されていることだった。その資料にあたり、とても長いが読み応えのあるこの本を書いた。
また、自身の経験を中心とした他の本もあるようだ。
plot summary
ヒトラーが1933年に首相に任命される以前、第一次世界大戦の一兵卒だった頃のヒトラーから描く。ナチ党の胎動からこの本は始まり、1945年のヒトラー自害までを区切りとして書いている本。
ドイツ内部で一体何が起こっていたのか、何がナチ党の進出を許したのか、何が第二次世界大戦を引き起こしたのか、そしてなぜホロコーストが起きてしまったのか。ナチのイデオロギーはなんだったのか。
イギリス、フランス、イタリア、ソ連、アメリカ、諸外国の海外情勢を含め、詳細に書いた本。
全5冊。長い!
review
とても読み応えのある本だった。今まで漠然としかなかった知識の肉付きが少し良くなった。もちろん完璧に把握はできなかった。それでも、その一部を知ることができたし、第二次世界対戦後の世界情勢の流れもなんとなくだが、想像できるようになった。今までは想像すらできなかったからね。
僕のナチスドイツについての最大の疑問、どうしてヒトラーが権力を握るに至ったのか?も詳しく書かれており非常に満足している。
彼らは合法的に権力を握ったと聞いた時から、どうやって?がものすごく気になっていた。合法的といっても、白と黒の境界線上を綱渡りしているし、ヒトラーのペテンの才能が傑出していたせいもある。と認識した。
感心していいのかわからないが、ヒトラーは権力を握るために戦略を立てていた。簡単に言えば、軍を敵に回さないこと、民衆の支持を得ること、だ。
政治家ならば民衆の支持を得ることは当たり前だが、彼は同じ政治家仲間のことは一顧だにせず、加えて人口の割合が大きい労働階級の支持を得ることに注力した。貴族や、富裕層に配慮しなかったわけではないが。
軍を的に回さないというのは、彼らを敵にするといざという時、武力で屈服させられてしまうからだ。現代とは少々事情が異なり、軍は大きな発言力と権力を持っていたため、彼らを敵にすると思うような活動ができなくなる。
ちゃんと考えてたんだなぁヒトラー。
そして、ヒンデンブルク大統領により首相に任命されたところから彼の権力の掌握が本格的に始まる。
ドイツと同じ枢軸国側として戦争をした日本国民としては、なんでドイツと手を結んだのか、も気になっていた。
実情は、互いに都合の良い考えの押し付け合いだったようだ。ドイツも日本を信用せず、日本もドイツを信用しない、互いが勝手に戦争を始めたせいでアメリカの介入を招き、ソ連の反撃を押し返すことができず、敗北に至ったようだ。
それで同盟国と言えるのか?言えるのか。
ヒトラーの独裁だったナチスドイツはよく分からない決断を下すことがあったのもよくわかった。そのせいで、成功することもあったし、失敗することもあった。しかしヒトラーの最期を考えれば、彼は間違えた、ということができるだろう。
決定を翻意させようとしてもできなかったし、しようとする人物もいなかった。ヒトラーに対するクーデター、暗殺も試みられたが、誰もがなぜか他人任せ、自分が積極的に行動しようとしない。
一体何があったのだろうか。
全5冊のこの本の構成は以下の通り
1 アドルフ・ヒトラーの台頭
2 戦争への道
3 第二次世界大戦
4 ヨーロッパ制服
5 ナチス・ドイツの滅亡
この本、第二次世界対戦が起きるまでの情勢が約半分を占めている!
すげえぜ。
こういう本を読んでいると、学校で学ぶ歴史なんて、何か教えてくれているようで何も教えてくれていないのだなぁと思ってしまうなぁ。そんなことはないのだろうけど。歴史なんて不確かなものさー。
今度は「大日本帝国の興亡」を読もうと思う。
- 作者: ウィリアム・L.シャイラー,William L. Shirer,松浦伶
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2008/05
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- 出版社/メーカー: 東京創元社
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2016東京国際映画祭にて。ごめんなさい。
introduction
行けるなら行こうと思ってなんだかんだ3年目。『雨月物語』や『荒野の決闘』
等古い作品のリバイバル上映も魅力的でした。めちゃみたかった。
しかしやはり“今”の映画を見たいと思って見たのが『シエラネバダ』。
なんでだろう?前年の『カランダールの雪』に続き今回の『シエラネバダ』もおよそ3時間という長い上映時間。上映時間が長いのはあんまり好きじゃないんだが……。
楽しみにしていましたが、ごめんなさい熟睡してしまいました。
cast&crew
クリスティ・プイユ
1967年ルーマニア・ブカレスト生まれ。2001年の初長編監督作“Stuff and Dough”はカンヌ映画祭監督週間に出品された。短編“Cigarettes and Coffee”は04年ベルリン映画祭の最優秀短編作品賞を獲得。『ラザレスク氏の最期』は2010年カンヌ映画祭「ある視点」部門の作品賞を受賞した。
by東京国際映画祭HP
ここでしか見れないものを見ようと今回はルーマニアの映画監督の作品を選びました。当然ながら作り手のことは全く知りません。
それがワクワクするのです。
plot summary
作品解説
亡くなった一家の主の法要で、親族がアパートに集まってくる。細かいトラブルが重なり物事は予定通りに進まない。歴史を巡る口論、厄介な叔父との押し問答、一向に到着しない神父、そして料理は冷めていく…。ルーマニア映画界のフロントランナーのひとり、クリスティ・プイユ監督が、激しい出入りとエンドレスな議論とでカオスと化す狭いアパート内に、親族という巨大な小宇宙が浮き上がってくる様を驚異的なリアリズムで描き切る。父親の法事の場で共産主義を巡って口論した監督の経験がベースになっている。ルーマニア民主化の前と後を知る監督は、歴史認識が時代に応じて変わる様を体験しており、世代間の意見の衝突を執拗に描いていく。そのうえで、異なる歴史観の持ち主も飲み込む親族という集団の底知れなさを覗きつつ、亡父の昔の嘘に傷つく男の心も描き、マクロとミクロの双方の視点を内包した深淵なる作品である。2016年カンヌ映画祭コンペティション部門出品。
by東京国際映画祭HP
開始早々寝てしまったので、ろくに話の筋をわからずに過ごしてしまいましたが……そうか、こんな映画だったのか。インスピレーションで映画を選んだので内容は把握していませんでした。
画像の女性は画像の男性の妻ですが、ものすごくキツイ顔してると思います。思いました。
review
きちんと映画を見てないくせに何を書こうというのか、と我ながら思わないでもありません、が書きます。映画の内容に関係ないことの方がおそらく多くなります。
リアリステッィクな作品でした。ほぼ、自分が透明人間になってそこにいるかのようなアングル。こっそりとその舞台に入り込んでいるかのような感じがしました。ぎょっとさせられるような演出が取られることもなく、大音量が響くこともない、寝るのには全くもって相応しすぎる映画。
うとうとしながら見ていいたのですが、ぼくの後ろからもイビキが聞こえてきたりしていて、「イビキはやめようぜ」と思いました。ぼくはかいていないはずです、ええかいていませんとも。
昔は映画館で寝ている人をよく見かけた気がします。最近はめっきり減りました。映画の単価も上がったし、忙しない世の中です、映画館で寝て過ごすなんて贅沢な時間の使い方は許してくれないのでしょうか。
だからこそ映画館で寝ることが気持ちがいいのではないだろうか!悠々とするべきであある。もっとみんな余裕をもった時間の使い方をするべきなのだよ。
自分を正当化しようと試みるも、やっぱり映画しっかり見たかったと思う今日この頃。
東京国際映画祭に来る人は皆大の映画好きであることは白日に晒さなくてもわかることである。そういった「映画好き」と映画をたまーに見る程度の人たちがだんだんと乖離していってるな、とふと思う。
映画ファンと映画好きがお互い楽しめる作品というか、こういう言い方好きではないが玄人と初心者というか、そういう作品が少なくなってきてるんじゃないかなぁーと。
その理由。
例えばの話し。
大の映画好きが、世間で大人気の映画をあまり好きになれなかった。そのことをで発言する。「あんまり面白いと思わなかったなぁ」するとどうだろうか。映画を通ぶって見ているだとか、これがわからないのはおかしいだとか。共感することを強いる。ひじょーに疎ましい。
お互いの立場を守りつつ、語り合えばいい話しなのになぜか同じように思うことを強制。同調させようとする。映画というメディアは、注目が集まりやすいのでそういった意見に出会うことが多いのかもしれない。
特に僕が気に食わない、何言ってるんだコイツと思うのが「世間が求めてるのをわかってない」である。
ぼくはプロデューサーではない。
見てるのは世間じゃなくて、ぼくだ。なぜ世間の求めてるものと同じものを求めなければならんのだ。
共感し同調することを強いることが、否定的な発言を減らし、肯定的な意見ばかりを目にするようになる原因なのだろう。多くの人間が共感できるような作品を作らないと売れない。つまり普遍化する。
ここが映画の厄介なところで、映画っていうのはお金がかかるから、やっぱり売れるものを作ろうとする。すると無難なところに着地をするしかない。そういったものが増えてるというか、映画興行も洗練されてきてしまったのかな、と。
今のところぼくはこう思っています。
面白いと思う作品はあるけれど、大好き!と言えるような作品がないのが今の映画だなぁ、と。その代わりつまらん、もない。
もっと好き嫌いはっきりいっていいと思うけども。ってそれはぼくにも言えることか。自省します。
『エル・トポ』
introduction
カルト映画として有名なこの映画をようやく見ました。
まぁぁぁぁぁ鮮烈でした。映画、というより活動写真、と言った方が雰囲気はつかめると思います。なんせ監督自ら、これは芸術映画と言っているくらいですから。いやいや、確かにとんでもないです。
cast&crew
アレハンドロ・ボドロフスキー。チリ生まれのロシア系ユダヤ人とのこと。
ナンテコッタイ。南米とロシアの小説好きのぼくにはたまらないんではないかい。
正直、ここで紹介するより、これは映画を見て欲しいです。
あまり先入観もたずに見て欲しいので。
ただ主人公、エル・トポの子供の役は監督の実の息子です、ということだけお知らせします。
plot summary
あらすじはあるにはあるが、言わずが花というか、その唐突さというか、奇妙さというか、そういうものを楽しんでください。
エル・トポというガンマンのお話です。
review
なんじゃこりゃぁ。なんで子供が裸なんじゃぁ。から始まり、なんじゃこりゃぁ、が頭の中から消えることなく終わる。監督が映したかったのはなんだろう。
とにかくそのイメージの強烈なこと。鮮やか。レイアウトが素晴らしく、色味がえぐい。アングルの破壊力。
こんなに映像自体が力強い映画はそうそう観れるものではない。今じゃ絶対作れないし、作らせようとしないし、作っても見る機会は与えられないと思う。
血の量の多いこと。動物の死体。内臓が見える。吊り下げられた人間。
気持ち悪くなる人います。それが当たり前です。
普通の映画ではないので、注意注意。
「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなったであろう」と絶賛されたそうです。そういう映画です。
東西境界線『ボスニア物語』
introduction
村上春樹が今年もノーベル文学賞を逃した、と話題になっている。そうやって大きく取り上げれば取り上げるほど、受賞から遠ざかって行く気がするのはぼくだけだろうか。
今回読んだ本、ボスニア物語はノーベル文学賞を受賞している作家が書いた。
はい、どこの国出身でしょう。
答えはユーゴスラビアです。今ではその国は解体され、名も残っていない。
かつて東欧にあり、西洋と東洋をつなぐ位置にあった、その国出身の作家が書いたこの『ボスニア物語』は境界にいることの苦労、悲劇を描き、さらに一歩、人の内面に踏み込む。
author
改めて作者に触れますが、イヴォ・アンドリッチ。1961年のノーベル文学賞を受賞。受賞理由は「自国の歴史の主題と運命を叙述し得た彼の叙事詩的力量にたいして」です。
この『ボスニア物語』を含め他2作品『ドリナの橋』と『サラエボの女』でボスニア三部作、と呼ばれているそうです。
ユーゴスラビア出身となっていますが、生まれたのはハンガリー・オーストリア帝国統治下のボスニアだったとのこと。自分の生まれた国、という現代人なら誰もが持っているアイデンティティーはあったのだろうか?と思います。
ぼくは文章でしかその人となりを知れませんが(知れているのかすら疑問であるが)、落ち着いた、理知的な人なのかな、と思います。
かつてユーゴスラビアがあったところはこの辺りです。
より正確に言えばセルビア、マケドニア、などもユーゴスラビアの一部だったようです。自分も不勉強なので詳しくはわかりませんが。またクロアチアとは因縁深いようです。一部だったり独立したり。
plot summary
時代はナポレオンの権勢があらゆる場所に轟いていたころ。
1807年トラヴニクにフランス領事ダビーユが着任するところから始まる。
そのトラヴニクを舞台とした年代記。西洋と東洋がぶつかる地での日々。
review
トラヴニク?ってどこだろう。ここは現在ボスニア・ヘルツェゴビナの中央に位置する。かつてはオスマン・トルコ帝国に制服されており、その属州となって、イスタンブールのトルコ皇帝から任命された太守がこの地を治めていた。この物語の始まる1807年には帝国は衰退しており、ヨーロッパでは戦火が広がっていた。
ナポレオンはトルコ皇帝にたいして、このトラヴニクに対し領事館を開く許可を求めた。彼はイギリスに対抗し、フランスが支配する交通路を設けたいと考え、そのうちの一本がこのトラヴニクの谷間を通る予定だった……らしい。
トラヴニクはここだよ。
この小説は誤解を恐れず言えばとても退屈な小説だった。
ただ日々を丁寧に書いているだけだからだ。しかしそれがかえって浮き彫りにするものは時代の大きなうねりと変わっているようで変わらない人の姿。
トラヴニクという場所を舞台として、フランス領事と後から遅れて着任してくるオーストリア領事との散っているはずの火花の応酬。しかし彼らはトラヴニクという場で数少ないヨーロッパ人であり、互いに共感出来る箇所が多い。トラヴニクでは、現地の人々との風習の違いや考え方の違い、宗教の違いに苦しめられる同胞でもあるのだ。
そしてその西欧人に反発を覚えたり、覚えなかったり、忘れていたりするのが現地の人々である。この時代、西と東の隔たりは谷を挟んでいるように大きく、互いに馴染めないものだった。現代とは時代が違う。今ではそんな悩みはほぼ皆無になってきている。
ぼくたちが感じようとしても感じることが難しい悩みにさらされた彼ら、立場は時を経るごとに変わり、友好的である時もあれば、敵対的である時もある。
ナポレオンの衰退に伴い、先の世の見通しは目まぐるしく変わる。
今の太平な世の中とは大違いだ。僕たちは、今のこの現状がいつまでも続くものだとして当たり前に受け入れているが、それはそうではなかった。先人たちの骨身を削る行いがそれをなしている。いつまたそれがひっくり返るかわからない。たとえ限りなく低い可能性だとしても、起こる可能性はゼロと言い切ることはできない。
一種、日本の無常観に通ずるものを感じた『ボスニア物語』。ちなみに原題を直訳すると『トラヴニク年代記』。
登場人物たちもそれぞれの考えと悩みを抱く。大きかったり小さかったり。しかいその大きい小さいは誰が決めるのか?ある人にとって大事なことが他の人にとって大事でない何てことは往々にしてあることだ。
一つ言えるのはぼくももっと考えたい、と思ったこと。うまく言葉にはできないしするつもりもないような事柄もあったり、そもそも気づいていないこともあるかもしれない。
どうしてどうして、自分を内面に向けさせる本だった。その理由の一端に、他者の目を通して自国の運命を描いたことがあると思う。作者はボスニア人でありながら西欧人(主にフランス領事ダビーユ)の目を通して、ボスニアを描き、受け止めているから。
イヴォ・アンドリッチはエッセイで「バルカンにおいてはすべての存在は悲劇的である」と語った。
そんな彼の本を読んでみてはいかがでしょうか。
P.S
読んだ本は1972年に発行されたものだったが誤字がなかなか多かった。やっぱ今ってすげぇ。
また翻訳がこなれていない感じもした。多分、本職ではないと思う。まぁ、セルビア・クロアチア語を訳せる人などそうそういないだろうが……。